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ペルシア文明とは わかりやすい世界史用語905
著作名: ピアソラ
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ペルシア文明とは

ペルシア文明は、古代から中世にかけて現在のイランを中心に栄えた文明であり、その影響は広範囲に及びました。

起源と初期の歴史

ペルシア文明の起源は、紀元前6世紀にさかのぼります。ペルシア人は、インド=ヨーロッパ語族に属するアーリア人の一派であり、イラン高原に定住しました。彼らは、メディア王国の支配下にありましたが、紀元前550年頃にキュロス2世(キュロス大王)がメディアを打倒し、アケメネス朝ペルシア帝国を創設しました。

アケメネス朝ペルシア帝国

アケメネス朝ペルシア帝国(紀元前550年~紀元前330年)は、キュロス大王によって設立され、ダレイオス1世やクセルクセス1世などの偉大な王たちによって拡大されました。この帝国は、エジプト、メソポタミア、インドの一部を含む広大な領土を支配し、古代世界の最初の超大国となりました。

アケメネス朝は、中央集権的な行政機構を整備し、サトラップと呼ばれる地方総督を配置しました。また、王の道と呼ばれる広範な道路網を整備し、通信と交易を促進しました。さらに、アケメネス朝は宗教的寛容を掲げ、征服地の文化や宗教を尊重しました。キュロス大王の「キュロス・シリンダー」は、バビロンの捕囚からユダヤ人を解放したことを記録しています。



パルティアとササン朝

アケメネス朝の後、アレクサンドロス大王の征服により一時的にギリシア化されましたが、その後、パルティア(紀元前247年~紀元後224年)とササン朝(224年~651年)が続きました。

パルティア朝は、遊牧民のパルニ族によって建てられ、ローマ帝国と対峙しました。彼らは騎馬戦術に優れ、シルクロードを通じた交易で繁栄しました。

ササン朝は、アルダシール1世によって設立され、ゾロアスター教を国教としました。サーサーン朝は、ビザンチン帝国と長期間にわたる戦争を繰り広げ、文化的にも大きな影響を与えました。特に、ジュンディーシャープールの学術研究所は、医学や哲学の中心地として知られています。

文化と宗教

ペルシア文明は、多様な文化と宗教を受け入れ、発展させました。アケメネス朝時代には、ゾロアスター教が広まりましたが、他の宗教も共存していました。ゾロアスター教は、善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの二元論を特徴とし、火を神聖視しました。

また、ペルシア文学や詩も発展しました。特に、ササン朝時代には、アヴェスターと呼ばれるゾロアスター教の聖典が編纂されました。さらに、ペルシアの詩人フィルドゥシーの『シャー・ナーメ』は、ペルシアの歴史と神話を描いた大作であり、後世に大きな影響を与えました。

科学技術と建築

ペルシア文明は、科学技術の分野でも多くの貢献をしました。アケメネス朝時代には、灌漑システムや道路網が整備され、農業生産が向上しました。また、ササン朝時代には、医学、天文学、数学などの分野で重要な進展がありました。

建築においても、ペルシアは独自のスタイルを発展させました。ペルセポリスの宮殿や、イスファハーンのモスクなど、壮大な建築物が建設されました。これらの建築物は、精緻な装飾と優れた技術を特徴としています。

ペルシア文明の遺産

ペルシア文明の遺産は、現代にも多くの影響を与えています。ペルシアの文化、宗教、科学技術は、イスラム文明や西洋文明にも大きな影響を与えました。特に、ペルシアの詩や文学は、後世の文学作品に多大な影響を与えています。

また、ペルシアの建築様式や工芸品は、現在でも高く評価されています。ペルシア絨毯や陶器は、その美しさと技術の高さで知られています。

ペルシア文明は、古代から中世にかけて広範な地域で栄え、多様な文化と宗教を受け入れ、発展させました。

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