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パーラ朝とは わかりやすい世界史用語830
著作名: ピアソラ
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パーラ朝とは

パーラ朝は、8世紀から12世紀にかけてインド亜大陸のベンガル地方を中心に栄えた帝国です。この帝国は、750年頃にゴーパラがガウダの皇帝に選ばれたことにより成立しました。

パーラ朝の成立と拡大

パーラ朝の創始者であるゴーパラは、ベンガル地方の混乱期に地元の首長として台頭し、750年頃にガウダの皇帝に選ばれました。彼の後継者であるダルマパーラは、770年から810年にかけて統治し、カナウジを一時的に支配するなど、王国を大幅に拡大しました。ダルマパーラの後を継いだデーヴァパーラは、北インド、デカン高原、半島部への遠征を行い、パーラ朝の勢力を維持しました。

パーラ朝の文化と宗教

パーラ朝は仏教の熱心な支持者であり、特に密教仏教(タントラ仏教)と大乗仏教を保護しました。彼らの支援により、仏教はチベットや東南アジアにも広がりました。パーラ朝の時代には、石や金属で作られた多くの優れた彫刻が生み出され、独自の美術様式が発展しました。また、ナーランダー僧院を復興させました。

パーラ朝の衰退と復興

デーヴァパーラの死後、パーラ朝は一時的に衰退しましたが、マヒーパラ1世の時代に再び勢力を取り戻しました。彼の治世中、ベンガルとビハールの防衛を強化し、南インドのチョーラ朝の侵攻に対抗しました。しかし、マヒーパラ1世の死後、王国は再び弱体化し、その後統治したラーマパーラが最後の強力なパーラ朝の王となりました。彼はカーマルーパとカーリンガを支配下に置きましたが、彼の死後、パーラ朝はセーナ朝に取って代わられました。

パーラ朝の行政と軍事

パーラ朝の行政は、地方の首長に大きく依存していました。彼らの軍隊は、特に戦象部隊で知られており、ベンガル湾では商業活動と防衛の両方を行う海軍も存在しました。パーラ朝の首都は、ビクラマプラ、パータリプトラ、ガウダなど、時代によって変遷しました。

パーラ朝の影響

パーラ朝は、北インドのガンジス平原からネパール、バングラデシュに至る広範な地域を支配し、その文化的影響力はチベットや東南アジアにも及びました。特に仏教の学者アティーシャは、チベット仏教の発展に大きな影響を与えました。

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