manapedia
更新日時:
白居易とは わかりやすい世界史用語734
著作名: ピアソラ
1,835 views
白居易とは

白居易(772年 - 846年)は、中国唐代の詩人、政治家、音楽家として知られています。彼は白楽天とも呼ばれます。彼の詩は、日常生活や官僚としての経験を題材にしたものが多く、平易な言葉で書かれた詩風が特徴です。彼の作品は中世東アジア全体で広く読まれ、日本文学にも大きな影響を与えました。

白居易は772年に河南省新鄭で生まれました。彼の家族は学問を重んじる家系でしたが、経済的には困窮していました。父親は地方の役人であり、白居易が10歳の時に戦乱を避けるために家族と離れて江南地方に移住しました。父親の死後、家族はさらに困難な状況に陥りましたが、白居易は詩作を続け、800年に科挙に合格しました。

白居易は801年に長安に移り、そこで学者の元稹(げんしん)と親交を深めました。806年には周至県の小役人に任命され、以後、彼の官僚としてのキャリアが本格化しました。彼は818年に中州の知事、822年に杭州の知事、さらに後には蘇州の知事を務めました。829年には洛陽の市長に任命されましたが、842年に病気のため引退しました。



詩人としての業績

白居易の詩は、その平易な言葉遣いと社会批判の内容で知られています。彼は詩を通じて社会の不正や腐敗を批判し、貧困層の苦しみに対する共感を表現しました。彼の代表作には、楊貴妃の悲劇を描いた「長恨歌」や、琵琶の音色を題材にした「琵琶行」などがあります。

仏教との関わり

白居易は仏教、特に禅宗に深く傾倒していました。彼の詩には仏教的な思想や教えが反映されており、彼自身も「香山居士」という号を持っていました。彼の仏教への関心は、彼の詩作や人生観に大きな影響を与えました。

日本文学への影響


白居易の詩は、日本でも広く読まれ、平安時代の文学に大きな影響を与えました。彼の詩は古典文学にも引用されており、日本の詩人たちにとって重要な参考資料となりました。

晩年と死

白居易は晩年、洛陽で静かな生活を送りました。彼は詩作を続けながら、仏教の修行にも励みました。846年に洛陽で亡くなり、彼の死後もその詩は広く読まれ続けました。

白居易は、その平易な詩風と社会批判の内容で、唐代の詩人の中でも特に重要な存在です。彼の詩は中国のみならず、日本を含む東アジア全体で広く読まれ、文学史に大きな影響を与えました。

このテキストを評価してください。
役に立った
う~ん・・・
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。






世界史