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倭国とは わかりやすい世界史用語607
著作名: ピアソラ
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倭国とは

倭国は、紀元前2世紀から7世紀末にかけて、日本列島に存在した政治勢力を指します。中国の歴史書『漢書』や『後漢書』には、倭人が定期的に中国の漢王朝に朝貢していたことが記されています。倭国の名称は、中国の諸王朝が日本列島の住民を指す際に用いた呼称でした。

倭国の政治構造

倭国は、複数の小国が連合して形成された政治勢力でした。1世紀中葉には、北部九州の倭奴国の首長が後漢の光武帝から金印を授与されるなど、倭国の政治的統合が進んでいたことがわかります。また、3世紀には邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢し、親魏倭王の称号を授かるなど、倭国の中でも特に強力な政治勢力が存在していたことが示されています。



倭国の外交と朝貢

倭国は、中国の諸王朝との外交関係を重視していました。後漢書には、107年に倭国王帥升が後漢に遣使し、生口(奴隷)を献呈したことが記されています。また、魏志倭人伝には、邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢し、親魏倭王の称号を授かったことが記されています。これらの記録から、倭国が中国との外交関係を通じて自国の地位を高めようとしていたことがわかります。

倭国の内乱と統一

2世紀後期になると、倭国内で大規模な紛争が発生し、これを「倭国大乱」と呼びます。この内乱は、邪馬台国の卑弥呼が倭国王に就くことで収まりました。卑弥呼の死後、再び内乱が発生しましたが、次の女王台与(壹与)が倭国王となることで再び統一が図られました。

倭国から日本へ

7世紀後半になると、倭国は国号を「日本」に改めました。『隋書』には、607年に倭国王多利思北孤が隋に遣使し、「日出處天子」と称したことが記されています。これは、日本が自国の独自性を強調し始めたことを示しています。また、『旧唐書』には、日本国が倭国の別種であると記されています。

倭国の文化と影響

倭国は、中国や朝鮮半島との交流を通じて、多くの文化的影響を受けました。特に、漢字や仏教の伝来は、倭国の文化に大きな影響を与えました。倭国の政治構造や外交関係は、後の日本の国家形成に大きな影響を与えたと考えられています。

倭国は、古代日本における重要な政治勢力であり、中国との外交関係を通じて自国の地位を高めようとしていました。倭国の歴史は、日本の国家形成に大きな影響を与え、後の日本国の基盤を築いたといえます。

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