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高句麗とは わかりやすい世界史用語594
著作名: ピアソラ
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高句麗とは

高句麗は、紀元前1世紀頃から紀元668年まで存在した古代朝鮮の王国です。高句麗は、朝鮮半島の北部と中国東北部の一部を支配していました。その歴史は、三国時代(高句麗、百済、新羅)における重要な役割を果たし、文化的遺産も豊富に残っています。

高句麗の成立と初期の歴史

高句麗は、紀元前1世紀頃に朱蒙によって建国されました。4世紀から5世紀にかけて大きく拡大しました。特に広開土王(391-412年)の治世においては、北朝鮮、満州、内モンゴルの一部を支配するまでに勢力を広げました。広開土王は「領土を広げる者」として知られ、その治世は「永楽」と呼ばれました。

また、5世紀には長寿王(413-491年)の治世においても繁栄を続け、平壌に新たな首都を築きました。この時期、高句麗は中国の北魏や南朝と外交関係を築き、文化的交流が盛んに行われました。

高句麗の文化と宗教

高句麗の文化は、その墓地芸術や建築に見ることができます。特に、壁画が描かれた古墳は、高句麗の美術と宗教観を示しています。高句麗の宗教は、仏教が国家宗教として採用されていましたが、儒教、道教も信仰されていました。

高句麗の衰退と滅亡

高句麗は、7世紀に入ると唐と新羅の連合軍による攻撃を受け、668年に平壌が陥落し滅亡しました。これにより、高句麗の領土は唐の支配下に入りました。

高句麗の遺産

高句麗の遺産は、現代の韓国と北朝鮮に大きな影響を与えています。高句麗の名前は、後の高麗王朝(918-1392年)に引き継がれ、これが現在の「Korea」という国名の由来となっています。

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