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【文明開化、廃仏毀釈、啓蒙思想家の活躍】 受験日本史まとめ 55
著作名: Cogito
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国民生活

生活の面では、西洋文化が次第に人々のあいだに広がっていきました。1871年(明治4年)には散髪脱刀令が出され、散切り頭髪や洋服が広まり、1872年(明治5年)に火災によって建物が被災した銀座一帯では、防火性の高いレンガ造りの洋風建築が建てられ、街路にはガス灯やランプが灯り、人力車や馬車が走るようになりました。食生活も牛肉が食されるようになりました。暦も旧暦の太陰暦に代わり、太陽暦を採用し、旧暦の明治5年12月3日を太陽暦の明治6年(1873年)1月1日とし、日曜を休日としました。

文明開化の主な新風俗

1870年 洋服の着用
1870年 靴の製造
1870年 コウモリ傘
1871年 散髪・脱刀令
1872年 帽子の流行
1867年 牛鍋の流行
1871年 西洋料理店
1872年 ビールの流行
1873年 巻たばこの流行
1868年 築地ホテル館
1871年 椅子・テーブルの流行
1872年 第一国立銀行創設
1872年 ガス灯設置
1882年 電灯設置
交通1869年 乗合馬車
交通1870年 人力車
交通1870年 自転車
交通1872年 鉄道
通信1869年 電信
通信1877年 電話
その他1872年 太陽暦採用
その他1872年 博覧会
その他1873年 野球
その他1876年 日曜休日制


西洋化が進む中、他方では廃仏毀釈などの影響もあり、日本各地で古来からの伝統芸術や美術工芸品が見捨てられ、一時奈良の興福寺の五重塔がたった25円(現在の30~40万円ほど)で売りに出されるなど、異常な状況も起こりました。都市では西洋化が急速に進みましたが、農村部では江戸時代以来の生活習慣が続き、都会と農村ではおおきな違いがありました。

思想

西洋文化の流入とともに、欧米の最新の思想が日本にも流入し、自由主義・功利主義に基づく政治・経済・法などさまざまな分野で啓蒙思想家が新しい考えを伝えました。福沢諭吉が『学問のすゝめ』を著し、その発行部数は1880年(明治13年)に70万部に達するベストセラーとなりました。この他にも、『文明論之概略』を著し、こうした思想は多くの青年たちに多大な影響を与えました。幕末に『隣草』を著し西洋の立憲政治を紹介した加藤弘之(1836~1916)は、明治以後も『立憲政体略』『真政大意』『国体新論』を著し、天賦人権論を紹介しました。しかし、後に社会進化論の立場をとるようになり、天賦人権論を否定するようになりました。中村正直(1832~91)は『西国立志編』『自由之理』を翻訳し、自由主義・功利主義の思想を伝えました。津田真道とともに幕末に幕府の留学生としてヨーロッパで学んだ西周は、明治初年に哲学や論理の著作を著しました。津田真道は、国際法(万国公法)や法律学を学び、さまざまな著作や出版の自由・廃娼・国会の早期成立などを唱えました。岩倉使節団に同行し、フランスに留学した中江兆民(1847~1901)は、啓蒙思想家ルソーの「社会契約論」を抄訳し『民約訳解』として公刊し、のちの自由民権運動に多大な影響を与えました。田口卯吉(1855~1905)は、『日本開花小史』を著し、新しい歴史学を世に示しました。こうした啓蒙思想家たちは、1873年(明治6年)に森有礼の提案により結成された明六社に集いました。明六社には、森有礼・西村茂樹・福沢諭吉・加藤弘之・中村正直・津田真道・西周・神田孝平などが参加し、森有礼を除くメンバーは薩長など西南雄藩出身者ではなく、幕臣として研究・教育に勤しんだ人々でした。

啓蒙思想などの新思想・知識の普及に貢献したのが新聞・雑誌・出版業でした。幕末からすでに存在していた新聞は、1870年(明治3年)に日本最初の日刊新聞である『横浜毎日新聞』が発行され、1870年代に『東京日日新聞』『日新真事誌』『朝野新聞』『読売新聞』『郵便報知新聞』『朝日新聞』などが創刊されました。明治政府のお雇い外国人も増加し、造幣寮の責任者だったイギリスのキンダーは、当時の太政大臣の月給800円を上回る1,045円で雇われており、お雇い外国人は一般的な水準から見て非常に高額な給与で雇われました。こうした外国の技術者・知識人は、日本の近代化に大きく貢献しました。

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