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【戦国時代のはじまり、明応の政変、戦国大名の登場と分国支配】 受験日本史まとめ 33
著作名: Cogito
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文化の地方普及
応仁の乱で京都が荒廃したため、公家などの文化人は全国の大名を頼って地方に散りました。荘園制の崩壊により困窮した公家たちは、有力大名のもとに身を寄せながら、蹴鞠、和歌、有識故実を武士に教え、その教授料で生計をたてるようになり、地方の武士たちも中央へのあこがれから、公家たちを積極的に迎え入れました。日明貿易で繁栄した大内氏の城下町山口は、多くの公家や文化人が集まり、儒学や和歌などの古典の講義が行われ、多くの書籍も出版されました。水墨家の雪舟や儒学の桂庵玄樹も山口で育ちました。

中国からもたらされた儒学は、この時代に新興の大名たちに受け入れられ、彼らの政治思想に多大な影響を与えました。桂庵玄樹は明に留学し、帰国後肥後の菊池氏や薩摩の島津氏に招かれ講義を行い、薩摩では朱子の『大学章句』を刊行し、のちに薩南学派の祖のなりました。土佐では南村梅軒が吉良氏のもとで講義し、南学の祖となったと言われています。また、万里集九のように各地で優れた漢詩文を残した禅僧もいました。

関東では、15世紀中頃に関東管領上杉憲実足利学校を再興し、全国から集った禅僧や武士に高度な教育が施されました。この頃から、武士は子弟を寺院に預けて教育を受けさせる習慣ができ、『庭訓往来』『貞観式目』『実語教』『童子教』などが教科書として用いられるようになりました。都市の商工業者も読み書き計算を必要としたことから、多くの書籍が刊行されるようになりました。南北朝時代には『論語集解』の刊本として『正平版論語』が堺で作られ、戦国時代には、奈良の商人饅頭屋宗二が辞書『節用集』を刊行しました。また、村落の指導者層も村の運営のために読み書き計算が必要となったため、農村にも学習が広がっていきました。




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