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【平城京の時代、聖武天皇の治世、三世一身法、墾田永年私財法】 受験日本史まとめ 13
著作名: Cogito
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孝謙天皇の治世

孝謙天皇の時代は、光明皇太后の権威と結びついた武智麻呂の子藤原仲麻呂が勢力を伸ばし、再び藤原氏が隆盛となります。仲麻呂は高齢となった左大臣橘諸兄を引退に追い込みました。橘諸兄の子奈良麻呂は、藤原仲麻呂の専制に対し皇族や大伴氏・佐伯氏らの力を借りこれを倒そうとしますが、757年(天平宝字元年)に橘奈良麻呂らは逆に先制され殺害されました(橘奈良麻呂の乱)。

758年(天平宝字2年)、藤原仲麻呂は淳仁天皇(在位758〜764)を即位させ、自らは恵美押勝の名前を賜り、翌年太子(太政大臣)に上り詰めました。しかし、光明皇太后が死去すると、後ろ盾を失った恵美押勝(仲麻呂)は孤立していき、孝謙太上天皇が病の看病に尽力した僧道鏡を寵愛するようになると、恵美押勝は淳仁天皇と対立するようになりました。

こうした対立が深まる中、恵美押勝は764年(天平宝字8年)に挙兵します。しかし、孝謙太上天皇の軍勢により初戦で敗退し、殺害されました(恵美押勝の乱<藤原仲麻呂の乱>)。その後淳仁天皇は皇位を廃され淡路に流され、孝謙太上天皇が再び即位し称徳天皇(在位764〜770)となりました。

770年(宝亀元年)に称徳天皇が亡くなると、寵愛を受けていた道鏡は孤立しました。称徳天皇は皇位継承者を定めなかったため、藤原百川らが中心となり、それまでの聖武天皇系の皇統に代わり、天智天皇の子施基皇子の子である光仁天皇が即位しました。光仁天皇の時代には、道鏡による仏教政治により混乱した律令政治と国家財政の再建が進められました。





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日本史