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ウィーン体制④ ~フランス七月革命・二月革命とウィーン体制の崩壊~
著作名: エンリケ航海王子
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七月革命

1830年7月26日、アルジェリア侵略の成功で勢威が高まったシャルル10世は、七月勅令を出します。

この勅令は、議会の解散、選挙権を地主のみに制限、言論・出版統制など、フランス市民を抑圧する内容のものでした。

この勅令の内容を受けて、翌日7月27日、銀行家ラフィット、ジャーナリストのギゾーティエールとその他ブルジョワジーの支援を受けた多数の市民や学生、労働者が中心となって武装蜂起しました。市民らは3日間の市街戦に勝利し、最終的にシャルル10世を退位させます。

これを七月革命といいます。

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(『民衆を導く自由の女神』 ドラクロワ作)

七月革命を題材にした著名な芸術作品が、ロマン主義画家ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』と、小説家ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』です。


七月革命の影響

七月革命の結果、ブルボン家の親戚オルレアン家ルイ=フィリップが国王に即位し、七月王政(1830~1848)がはじまりました。

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(ルイ=フィリップ)

また、七月革命の成功を受けて、各地でさまざまな運動がおこります。

オランダ

オランダでは、支配下にあった南ネーデルラント(ベルギー)で暴動が発生し、ベルギーの独立が達成されます。ベルギーはその後第一次世界大戦まで永世中立国になりました。

ポーランド

ポーランドでは、ロシアの支配からの独立を求め反乱が起きましたが、ロシア軍によって制圧され、失敗します。

ドイツ

ドイツでは、憲法制定や農民解放を求める反乱が起きますが、オーストリア軍に鎮圧されます。政治的には失敗したものの、その後プロイセンを中心とするドイツ関税同盟が組織され、ドイツの統一が一歩進みます。

イタリア

イタリアでは、カルボナリが反乱を起こして失敗し、それ以降マッツィーニを指導者とする青年イタリアがイタリア統一の中心になっていきます。

イギリス

イギリスでは、選挙権拡大の世論が高まる中、1832年、ホイッグ党グレー内閣により、第1回選挙法改正が行われ、腐敗選挙区の廃止と新興の商工業都市に議席を与え、産業資本家が新たに選挙権を獲得しました。


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