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『農政全書』とは わかりやすい世界史用語2189 |
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著作名:
ピアソラ
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『農政全書』とは
『農政全書』は、明王朝後期の学者、役人、科学者であった徐光啓によって編纂された、中国の農業に関する包括的な百科事典です。この書物は、徐光啓の死後、1639年に刊行されました。全60巻、約70万字に及ぶこの大著は、中国の伝統的な農学の集大成と見なされており、17世紀中国の農業技術の水準を示す重要な文献です。
編纂の背景と著者・徐光啓
『農政全書』を理解するためには、その著者である徐光啓の人物像と、彼が生きた時代背景を把握することが不可欠です。徐光啓は、上海出身の学者であり、政治家でした。彼は若い頃から学問に励み、19歳で地方の科挙に合格しましたが、最高位の試験である進士に合格したのは43歳になってからでした。その後、彼は朝廷で高い地位に就き、礼部尚書や文淵閣大学士といった要職を歴任しました。
徐光啓の特筆すべき点は、伝統的な儒教の教養だけでなく、西洋の科学技術にも深い関心を持っていたことです。彼は、イタリアのイエズス会宣教師マテオ=リッチと親交を結び、共同で西洋の学術書を中国語に翻訳しました。その中でも特に有名なのが、ユークリッドの『原論』の最初の6巻の翻訳です。この共同作業を通じて、徐光啓は西洋の数学、天文学、水力学などの知識を吸収しました。彼はまた、熱心なキリスト教徒でもあり、1603年に洗礼を受け、「パウロ」という洗礼名を持っています。彼の西洋科学への関心とキリスト教への信仰は、当時の中国の知識人の中では異例なことでした。
徐光啓が『農政全書』の編纂に着手した動機は、彼が目の当たりにした明朝後期の社会不安と、農民の困窮にありました。当時の中国は、モンゴルとの戦争や自然災害に苦しんでおり、農業生産の安定は国家の喫緊の課題でした。徐光啓は、農業こそが国家経済の根幹であるという強い信念を持っていました。彼は、自身の故郷である上海で農業に携わった経験や、父の死後3年間の服喪期間中に行った農業実験、さらには天津での軍屯の監督などを通じて、農業に関する実践的な知識を豊富に蓄積していました。これらの経験が、『農政全書』の執筆の基礎となったのです。
『農政全書』の構成と内容
『農政全書』は、全12部で構成されており、農業に関するあらゆる側面を網羅しています。その内容は、単なる栽培技術にとどまらず、農業政策、土地制度、水利、農具、さらには飢饉対策といった、農業を取り巻く社会経済的な問題にまで及んでいます。
本書の構成は以下の通りです。
農本
農業の重要性を説く序論的な部分です。農業が国家の基盤であることを強調し、為政者が農業を重視すべきであるという思想が述べられています。
田制
中国の歴史を通じた土地制度の変遷を概観しています。
農事
耕作、天候の観測、季節の判断といった、農業生産の基本的な事柄を扱っています。荒れ地の開墾や、効率的な農地管理についても詳述されています。
水利
灌漑技術に関する章です。この章の特筆すべき点は、伝統的な中国の水利技術に加え、イタリアのイエズス会士サバティーノ・デ・ウルシスによってもたらされた西洋の水力学の知識(「泰西水法」)が含まれていることです。これは、徐光啓が西洋科学を積極的に取り入れようとした姿勢の表れです。
農器
鋤、鍬、鎌といった様々な農具を図解入りで紹介しています。水車を利用した唐箕など、当時の先進的な農具も含まれています。
樹芸
樹木の栽培技術について述べています。
蚕桑 および 蚕桑広類
養蚕と絹織物生産に関する章です。当時の中国における重要な産業であった養蚕業の技術が詳細に記されています。
種植
各種植物の栽培方法について解説しています。
牧養
家畜の飼育について扱っています。
製造
農産物の加工技術について述べています。
荒政
飢饉対策に関する章です。これは『農政全書』の非常に重要な部分を占めています。徐光啓は、過去の飢饉の記録を詳細に調査し、特に蝗害について111の事例を研究しました。彼は、飢饉を根絶するためには大規模な水利事業が不可欠であると主張しました。また、飢饉の際に食料となる野生植物に関する知識も集められており、『救荒本草』などの先行文献が引用されています。
『農政全書』の大きな特徴は、先行する多くの農書や文献を渉猟し、それらを体系的に整理・編纂している点にあります。徐光啓は300種類以上の古文献を引用し、自身の見解や実地経験に基づく注釈を加えています。これにより、本書は単なる知識の寄せ集めではなく、一貫した体系を持つ農学の集大成となっています。また、豊富な図解も本書の価値を高めています。農具や灌漑設備、田畑の様子などが詳細なイラストで示されており、当時の農業技術を視覚的に理解する上で貴重な資料となっています。
西洋知識の導入
『農政全書』が他の中国の伝統的な農書と一線を画す点は、西洋の科学技術が導入されていることです。特に「水利」の章に含まれる「泰西水法」は、その顕著な例です。これは、徐光啓がイエズス会宣教師サバティーノ・デ・ウルシスと協力してまとめたもので、西洋の灌漑技術や水利工学の知識を中国で初めて体系的に紹介したものでした。
徐光啓は、宣教師たちとの交流を通じて、西洋の科学が持つ実用的な価値を深く認識していました。彼は、単に西洋の知識を翻訳するだけでなく、それを中国の現実に合わせて応用しようと試みました。例えば、彼は上海の自邸で西洋式の灌漑方法を実験し、その有効性を確かめています。また、サツマイモや綿花といった外来作物の栽培にも取り組み、その普及に努めました。サツマイモは、16世紀後半に中国に伝わった作物で、やがて下層階級の重要な食料源となりました。徐光啓は、これらの新しい作物が飢饉対策に有効であると考え、その栽培法を研究し、広めようとしたのです。
彼のこのような姿勢は、当時の保守的な学者たちとは一線を画すものでした。彼は、気候や自然条件がその土地の農業形態を決定するという、当時広く受け入れられていた考え方を批判し、新しい作物や技術を積極的に導入することの重要性を説きました。この進取の気性に富んだ態度は、『農政全書』の随所に見て取ることができます。
編纂過程と後世への影響
『農政全書』の草稿は、徐光啓が1628年に朝廷に復帰するまでにほぼ完成していました。しかし、その後彼は暦の改訂事業を命じられたため、本書を完成させることができませんでした。徐光啓が1633年に亡くなった後、その遺志を継いだ弟子の陳子龍らが草稿を整理・校訂し、1639年にようやく刊行されました。陳子龍は、元の草稿の約3分の1を冗長であるとして削除し、一方で新たな内容を加えて再構成したと推定されています。
刊行された『農政全書』は、その包括性と実用性から高く評価され、後世の中国の農業に大きな影響を与えました。本書は、明代末期から清代にかけての農業技術の発展に貢献しただけでなく、中国の農学研究における重要な典籍としての地位を確立しました。本書は、賈思勰の『斉民要術』(6世紀)や王禎の『農書』(14世紀)といった、中国の農学史に名を残す著作の伝統を受け継ぎつつ、西洋科学の導入という新たな要素を加えた、画期的な著作であったと言えます。
その影響は中国国内にとどまりませんでした。『農政全書』は、その後の時代に何度も再版され、広く読まれました。特に、飢饉対策に関する部分は、食糧安全保障という普遍的な課題に対する洞察を含んでおり、その価値は時代を超えて認識されています。本書で紹介された野生の食用植物に関する知識は、後の飢饉対策マニュアルにも影響を与えました。
『農政全書』は、17世紀の中国で編纂された、農業に関する知識の集大成です。その著者である徐光啓は、明朝後期の高官でありながら、西洋の科学技術にも通じた稀有な知識人でした。彼は、伝統的な中国の農学の知識を整理・体系化すると同時に、イエズス会宣教師からもたらされた西洋の科学技術を積極的に取り入れました。本書は、農学のあらゆる分野を網羅し、豊富な図解とともに、当時の最先端の農業技術を伝えています。
その内容は、単なる農業技術の解説にとどまらず、農業政策、経済、そして飢饉救済といった、国家の統治に関わる重要な課題にまで及んでいます。徐光啓は、農業こそが国家の基盤であるという強い信念のもと、農民の生活を向上させ、国家を富ませるための実用的な知識を追求しました。
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