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陳寿『赤壁の戦ひ(時劉備為曹公所破〜)』現代語訳・書き下し文と解説 |
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著作名:
走るメロス
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このテキストでは、三国志の一節『赤壁の戦ひ』の原文(白文)、書き下し・現代語訳(口語訳)と解説を記しています。陳寿が著した三国志の一節ですので注意してください。
時劉備為曹公所破、欲引南渡江。
与魯粛遇於当陽、遂共図計。
因進住夏口、遣諸葛亮詣権。
権遂遣瑜及程普等、備併力逆曹公、遇於赤壁。
時曹公軍衆已有疾病。
初一交戦、公軍敗退、引次江北。
瑜等在南岸。
瑜部将黄蓋曰、
「今寇衆我寡、難与持久。
然観操軍船艦、首尾相接。
可焼而走也。」
然観操軍船艦、首尾相接。
可焼而走也。」
乃取蒙衝・闘艦数十艘、実以薪草膏油灌其中、裹以帷幕、上建牙旗。
先書報曹公、欺以欲降。
又予備走舸、各繋大船後、因引次俱前。
曹公軍吏士皆延頸観望、指言、
「蓋降。」
蓋放諸船、同時発火。
時風盛猛、悉延焼岸上営落。
頃之、煙炎張天、人馬焼溺、死者甚衆。
軍遂敗退、還保南郡。
備与瑜等復共追。
曹公留曹仁等守江陵城、径自北帰。
時に劉備曹公の破る所と為り、引きて南のかた江を渡らんと欲す。
魯粛と当陽に遇ひ、遂に共に図計す。
因りて進みて夏口に住(とど)まり、諸葛亮を遣はして権に詣らしむ。
権遂に瑜及び程普等を遣はし、備と力を併せて曹公を逆(むか)へしめ、赤壁に遇ふ。
時に曹公の軍衆已に疾病有り。
初め一たび交戦するや、公の軍敗退し、引きて江北に次す。
瑜等南岸に在り。
瑜の部将黄蓋曰はく、
「今寇(てき)は衆(おほ)く我は寡なく、与に持久し難し。
然るに操の軍の船艦を観るに、首尾相接す。
焼きて走らすべきなり。」と。
然るに操の軍の船艦を観るに、首尾相接す。
焼きて走らすべきなり。」と。
乃ち蒙衝・闘艦数十艘を取り、実たすに薪草を以ってし膏油もて其の中に灌ぎ、裹むに帷幕を以ってし、上に牙旗を建つ。
先づ書をもて曹公に報じ、欺くに降らんと欲するを以ってす。
又予(あらかじ)め走舸を備へ、各大船の後に繋ぎ、因りて次を引きて俱に前(すす)む。
曹公の軍の吏士皆頸を延ばして観望し、指(ゆびさ)して言ふ、
「蓋降(くだ)る。」と。
蓋諸船を放ちて、同時発火せしむ。
時に風盛んにして猛く、悉(ことごと)く岸上の営落に延焼す。
頃之(しばらく)して、煙炎天に張り、人馬焼溺し、死する者甚だ衆し。
軍遂に敗退し、還りて南郡を保つ。
備瑜等と復た共に追ふ。
曹公曹仁等を留めて江陵城を守らしめ、径ちに自ら北に帰る。
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