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ピューリタン(清教徒)革命のながれ |
著作名:
逆転検事
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スコットランドから来た王
まず、ピューリタン革命前のイギリスの状況を見てみましょう。
イギリスの絶対王政時代の象徴だったエリザベス1世は、処女王として世継ぎを残さずに1603年に亡くなります。
開祖ヘンリ7世により1485年以来続いていたテューダー朝が断絶したのです。
テューダー朝断絶後、イギリスの王として迎えられたのが、ジェームズ1世でした。
(ジェームズ1世)
ジェームズ1世は、スコットランドの王としてはジェームズ6世で、これ以降同君連合の君主としてイングランド、スコットランド両王となります。以後新たにステュアート朝がはじまります。
国王の圧政と対立
ジェームス1世は北方のスコットランド出身だったので、イングランドの内情をよく知らず、様々な階層の人々と対立することになりました。
まず、当時新しい信仰者だったピューリタンなど、イギリス国教会以外の信仰者を迫害します。
ピューリタン(清教徒)というのは、イギリスのカルヴァン派の人々のことです。この迫害から逃れるために1620年に新大陸に渡った人々がピルグリム・ファーザーズで、後のアメリカ合衆国の基礎を作ることになります。
その他にも国王による独断的な課税や、特権商人に独占権を与える行為、議会を無視した政治運営など、ジェームズ1世は王権神授説に基づく専制政治を行います。
権利の請願
ジェームズ1世の死後、次男のチャールズ1世が即位します。
(チャールズ1世)
チャールズ1世は、先王以上の専制政治を行います。
あまりにも続く専制政治に対し、1628年議会は権利の請願を王に提出します。
(権利の請願)
権利の請願は、主に王の独断の課税や、法に基づかない逮捕や投獄をやめさせるという内容でした。
チャールズ1世はこの権利の請願の提出に対し、議会を解散し、その後11年間も専制政治を続けます。
スコットランドの反乱と議会の招集
専制政治を続けたチャールズ1世でしたが、1639年にスコットランドで反乱が起こります。
反乱の理由は宗教問題でした。
もともとスコットランドではプレスビテリアン(長老派)というカルヴァン派が大きな勢力を占めていたのですが、チャールズ1世がイギリス国教会をスコットランドの人々に強制したため、反乱が起こったのです。
この反乱を鎮圧するためには多大な戦費が必要だったので、王は仕方なく議会を招集します。
まず、最初に開かれたのが1640年4月の短期議会。
短期議会は、11年ぶりに開かれた議会でしたが、議員の多くが戦費のための課税に反対したので3週間で解散されます。
ところが、その後王が反乱鎮圧に失敗し、賠償金を支払う必要性が出てきたため、同年11年から1653年まで続く長期議会が招集されます。
ピューリタン革命のはじまり
長期議会では、大抗議という王の失政を批判する文章が提出されました。
この文章に怒った王は、独断で自分に反対する議員を逮捕しようとします。
その流れを受けて、長期議会内で王の支持者である王党派と、議会を支持する議会派の対立が内乱に発展し、1642年ピューリタン革命が勃発しました。
王党派は、国王を支持した人々で、貴族や特権商人、保守的なジェントリなどで構成されていました。イギリス国教の信者が多く、イングランドの北部や西部が支持地域で、活動の中心地はヨークでした。
一方議会派は、国王に反対し議会を支持した人々で、大部分のジェントリやヨーマンなどの都市部の商工業者などで構成されていました。彼らの多くはピューリタンで、東部や南部に支持基盤を持っており、活動の中心地はロンドンでした。ピューリタン革命の由来は、ここからきています。
王党派との戦い
内乱は、当初王党派が優勢でした。
しかし、議会派の一派である独立派の指導者オリバー・クロムウェルが鉄騎兵というジェントリ・ヨーマンを構成員とした騎兵隊を創設すると、1644年マーストン・ムーアの戦いで議会派が形成を逆転します。翌年1645年のネーズビーの戦いで鉄騎兵を基に編成された新型軍が王党派を撃破、チャールズ1世はスコットランドに逃亡します。
(クロムウェル)
議会派は、ピューリタン革命中いくつかのグループにわかれていきました。以下に表にしてみます。
派閥名 | 概要 |
長老派 | 国王とは妥協的。立憲君主制を支持。貴族・大商人の代表。 |
独立派 | 共和制を支持。地主や裕福なジェントリの代表。クロムウェルが指導者。 |
水平派 | 財産権・参政権を主張。ヨーマンや小市民の代表。 |
逃亡したチャールズ1世はその後議会派に引き渡され、1649年、クロムウェルは国王を処刑し、その後共和制(コモンウェルス)を樹立します。
このチャールズ1世の処刑と共和制の樹立をもって、ピューリタン革命は終結しました。
クロムウェルの独裁政治
クロムウェルは国王の処刑と前後して長老派を追放、その後も次々と対立する派閥を議会から追放し、独裁権を握ります。
独裁権を握ったあと、クロムウェルは積極的な対外政策を始めます。
アイルランドやスコットランドを征服し、続いて当時ライバル関係にあったオランダを中継貿易から締め出す航海法を制定。第1次英蘭戦争が勃発します。この戦争に勝利した後、クロムウェルは終身の護国卿というポジションに就き、厳格な軍事独裁を行いました。
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