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御恩と奉公とは?将軍と御家人の関係をわかりやすく解説【1分でわかる日本史】
著作名: かわちゃん
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御恩と奉公(ごおんとほうこう)とは、鎌倉時代の武士社会を支えた主従関係で、主君が家臣に土地の保証や給与などを与える「御恩」と、家臣が主君に軍事や警備で応える「奉公」が対になったものです。将軍と御家人は、土地を仲立ちにして結びついていました。この記事では、御恩と奉公の中身、そして御恩と奉公は「封建制度」と言っていいのかなどについて、「1分でわかる要約」と「深掘り解説」の2段構成でまとめました。

この記事は2段構成です。最初の「1分でわかる御恩と奉公」だけで、要点がつかめます。

さらに深掘りでは、次の3つのポイントを考察していきます。

・御恩は土地だけだったのか

・御家人が背負った奉公の重さ

・「封建制度」という呼び方が慎重に扱われる理由

・元寇のあと、この関係がなぜ崩れたのか


1分でわかる御恩と奉公


御恩と奉公とは、一言でいえば、土地を仲立ちに将軍と御家人が結びついた関係です。

御恩=土地を守り、土地を与える

将軍は、御家人が先祖代々受け継いできた領地の支配を保証しました。これを本領安堵(ほんりょうあんど)といいます。さらに手柄を立てた者には、新しい土地を与えました。こちらが新恩給与(しんおんきゅうよ)です。

奉公=戦(いくさ)と警備

御家人は御恩の見返りに、戦となれば一族を率いて将軍のもとへ駆けつけました(軍役)。平時も京都で内裏を、鎌倉で幕府を、交代で警備します(大番役)。

長く「封建制度」と呼ばれてきた

土地を仲立ちにしたこの主従関係は、「封建制度」という言葉で説明されてきました。ただしヨーロッパの制度と同じものとみてよいかには議論があり、今は慎重に扱われます。


将軍が土地を与え、御家人が命で応える。この一対の関係が、鎌倉幕府という政権の土台でした。逆にいえば、与える土地が尽きたときに揺らぐ仕組みでもあります。

おまけトリビア

御恩は土地だけではありません。守護や地頭といった役職に任命することも、朝廷に官位を推薦することも、りっぱな御恩に数えられました。


ここから深掘り


ここまでが1分の要約です。ここからは、御恩と奉公をもう一歩深く知りたい方向けに解説します。

■御恩と奉公の背景


この関係は、鎌倉幕府が突然作り出したものではありません。平安時代の後半、朝廷は軍事や徴税の実務を地方の有力者に委ねるようになります。とくに東国では、在地の豪族が実際の武力を担いました。そこから武士団が育ち、土地の保証と引き換えに武力を提供する結びつきが、平安時代の東国で形になっていきます。

鎌倉幕府は、その東国の慣行を受け継ぎました。将軍(鎌倉殿)と御家人の関係は、そこから中世を通じて武家社会の基本になっていきます。

では、その相手は誰だったのか。御家人です。御家人とは、将軍と主従関係を結んだ武士のこと。所領の支配を認められたり地頭に任命されたりする代わりに、軍役をはじめとする義務を負いました。つまり「御恩と奉公の関係を結んだ相手」が御家人であり、御恩と奉公は御家人という身分そのものを定義する仕組みでもあったのです。

■御恩と奉公の中身


内訳を並べると、両者のバランスが見えてきます。

区分内容
御恩本領安堵(先祖代々の領地の支配を保証)
御恩新恩給与(手柄に応じて新しい土地を与える)
御恩守護職・地頭職への任命、朝廷への官位の推薦
奉公軍役(いくさのときに一族を率いて参陣)
奉公京都大番役(内裏の警固)
奉公鎌倉番役(平時の幕府の警固)
奉公異国警固番役・長門警固番役(沿岸の警備)
奉公関東御公事(かんとうみくうじ。幕府や内裏の修造などにあてる経済的な負担)


表を縦に眺めると、御恩の側にも幅があるのがわかります。幕府が御家人に配れたのは、土地と地位の両方でした。しかも新恩給与が地頭への任命という形をとることもあり、土地と役職は実際には重なっています。

一方、奉公の側は時間と費用を差し出す務めです。京都大番役は、御家人が交代で都に詰め、内裏を守る務めでした。しかも戦にかかる費用は、基本的に御家人の自前です。それでも命を懸けたのは、勝てば新しい土地が手に入るからでした。奉公は忠誠心の表明であると同時に、次の御恩を引き出すための投資でもあったわけです。

■史実と学説


御恩と奉公は、しばしば「封建制度」という名前で説明されます。土地を仲立ちにして主君と家臣が結びつく点が、中世ヨーロッパの封建制(feudalism)とよく似ているからです。

ただ、ここには注意が要ります。「封建制度」はもともとヨーロッパの制度を指す言葉で、それを日本に当てはめた借り物の枠組みです。共通点に着目して封建的主従関係と理解する見解がある一方、ヨーロッパのそれとは本質的に異なる日本独自の関係だとする見解も出されています。中学の教材では今も「土地を仲立ちにした主従関係を封建制度という」と説明されますが、断定して覚え込むより、「そう呼ばれてきた」と受け止めるほうが実態に近いといえます。

日本独自とみる側は、ヨーロッパの封建制とは本質的に異なると主張します。共通点を重くみるか、相違点を重くみるか。どちらの見解も現役で、決着はついていません。


実際、御恩と奉公を説明する定義文では「封建的な主従関係」という言い方が広く使われています。「封建制度そのもの」ではなく「封建的」。この一字の差に、比較の言葉を実態の名前としてそのまま使ってよいのかという慎重さが表れています。試験の答案としては「土地を仲立ちにした主従関係」という言い換えが、いちばん安全でよいでしょう。

この仕組みには、構造上の限界も組み込まれていました。奉公には、外からの襲来に備える異国警固番役・長門警固番役も数えられます。守りの務めです。ところが新恩給与のもとになるのは土地であり、土地が増えなければ、与えられる恩にはおのずと限りが出ます。

その限界がはっきり出たのが、元寇のあとでした。1274年と1281年の二度の襲来で、御家人は費用を自分で負担して戦います。しかし元軍を追い払っただけで、日本が新しい領地を手に入れたわけではありません。そのため幕府は、戦った御家人に十分な新恩給与を行えませんでした。御家人の暮らしは苦しくなり、幕府への不満が高まります。幕府は1297年に永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)を出して御家人を救おうとしましたが、効果は薄いままでした。恩賞が足りないのに奉公だけが積み上がる。この状態が続いたことで、将軍と御家人を結んでいた御恩と奉公は、次第に効力を失っていきました。

■トリビアの真相


「御恩=土地」、というイメージは強すぎるかもしれません。御恩には守護職・地頭職への任命が含まれ、朝廷への官位の推薦も数えられました。役職に就けば、そこから得られる収入や権限がついてきます。土地そのものを渡さなくても、将軍は御家人に恩を与えることができたのです。

裏を返せば、幕府が配れる「恩」の種類は、幕府がどれだけ人事と土地を握っているかで決まりました。御恩と奉公は精神論ではなく、きわめて実務的な取引関係だったといえます。

試験に出るポイント

「御恩=本領安堵・新恩給与/奉公=軍役・大番役」の組み合わせが頻出です。どちらが将軍側でどちらが御家人側かを取り違えないこと。「土地を仲立ちにした主従関係」という言い回しもそのまま問われます。


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