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ローマとは わかりやすい世界史用語1049
著作名: ピアソラ
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ローマとは

ローマの起源と伝説
ローマの歴史は紀元前753年にまで遡ります。伝説によれば、ローマは双子の兄弟ロムルスとレムスによって創設されたとされています。彼らは戦争の神マルスの子であり、ティベル川に流されて育った後、ローマを建設しました。ロムルスは兄弟を殺し、ローマの初代王となったとされ、この物語はローマ建国の神話として広く知られています。

初期のローマと王政時代

ローマは最初、王政によって支配されていました。伝説によると、ローマには7人の王が存在し、ロムルスがその始まりで、最後の王はタルクィニウス・スペルブスです。王政時代のローマは、エトルリア人やラテン人、サビニ人などの周辺民族の影響を受けながら成長しました。特にエトルリア人からは、都市計画や宗教儀式、建築技術など多くの文化的影響を受けました。



共和政の成立

紀元前509年、ローマは王政を廃止し、共和政を樹立しました。共和政の初期には、貴族(パトリキ)と平民(プレブス)の間で政治的対立が続いていましたが、平民が政治的権利を求めて闘争を繰り広げることで、徐々にその対立は解消されていきました。共和政時代のローマは、元老院という議会と、毎年選ばれる2人の執政官(コンスル)によって統治されました。

ローマの拡大と戦争

共和政の時代、ローマは周辺地域への拡大を進めました。特に紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて行われたポエニ戦争では、カルタゴとの戦いに勝利し、西地中海の覇権を確立しました。また、ガリア戦争やマケドニア戦争を通じて、ローマはヨーロッパや地中海全域に勢力を広げました。

内乱と帝政の成立

紀元前1世紀には、ローマ内部で権力争いが激化し、内乱が頻発しました。特にガイウス・ユリウス・カエサルの台頭や暗殺、アウグストゥス(オクタウィアヌス)の出現が重要な出来事です。カエサルの死後、アウグストゥスは内乱を収束させ、紀元前27年に初代皇帝として帝政を確立しました。これにより、ローマは共和政から帝政へと移行し、ローマ帝国が成立しました。

ローマの文化と遺産

ローマはその豊かな文化的遺産でも知られています。ローマの建築技術は非常に発展しており、コロッセオやパンテオン、フォルム・ロマヌムといった壮大な建物がその証拠です。また、ローマ法は現代の法体系の基盤となり、ラテン語は多くのヨーロッパ言語の元となりました。さらに、ローマの文学、哲学、芸術は後世に大きな影響を及ぼしました。

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