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哲学者列伝 ホッブズ
著作名: サリー
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◯人物
 17世紀に活躍したイギリスの哲学者・政治学者。牧師の子に生まれ、貴族の家庭教師をしながら思索・研究に励んだ。1640年に『法学要綱』を発表するが、議会派から絶対王政を支持しているとして攻撃を受け、フランスに亡命。そこで有名な『リヴァイアサン』を発表する。帰国した後に王政復古が起こりチャールズ二世の庇護を受けるが、今度はホッブズの機械論・唯物論的な思想が無神論を標榜しているとされ、宗教界から激しく弾圧される。イギリスに生まれ、ベーコンの影響を受けていることからイギリス経験論の人物とされるが、他方実際に交流のあったデカルトなどの大陸合理論の傾向も見受けられる。ガリレオ・ガリレイとも交流があり、自然哲学の分野においてはガリレイの他、コペルニクスやケプラーの立場に立つ。

◯著書
『リヴァイアサン』『哲学原論』
「自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある。すなわち戦争とは、闘いつまり戦闘行為だけではない。闘いによって争おうとする意志が十分に示されていさえすれば、そのあいだは戦争である。」(『リヴァイアサン』)
「群衆がひとりの人間または人格によって代表されるとき、もしそれが、その群衆の各人すべての同意によってそうなるのであれば、その群衆は一つの人格となる。」(『リヴァイアサン』)

◯思想
 ホッブズは徹底した機械論・唯物論の立場に立つ。すなわち、自然界に起こる現象は全て因果関係によって生起しているのであり、このような因果関係は人間の生理的・心的作用にまで適用される、という考え方である。。例えば機械論・唯物論では人間の認識は、どのように説明されるだろうか。ホッブズによると、認識の根源とは感覚であるが、この感覚とは人間の外部にある物体の運動によって、我々の感覚器官が刺激され、人間の内部に何らかの反応作用が生じることで成立する。感覚は物体による刺激が終わった後にも、ある程度人間の内部に残存するものであるが、これが人間の記憶と呼ばれるものである。このような記憶が蓄積していくにつれて、我々はそれを経験と呼ぶことになるのである。
 人間の意志について考えてみても、その根源は外部の物体の作用によって、我々に快・不快の感情という反応作用が生ずるということにある。ここで言う快とは生命の働きを促進するものに対する感情で、不快とは生命の働きを阻害するものに対する感情である。人間は生まれながら生命を保存する必要があるので、我々は必然的に快を欲求し、不快を嫌悪し避けようとする。このように、生命を保持するものとしての快への欲求を、自己保存の欲求と呼ぶ。ところが、我々の中には同じ外部のものに対して欲求と嫌悪が同時に生ずる場合がある。例えば、今日の夕食をスパゲティにしようかラーメンにしようかと悩む場合、そこには両者に対する欲求と嫌悪が同時に働いていて、熟慮するのである。そこで我々が、昨日の昼にラーメンを食べたので、今日はスパゲティを食べようと決定した場合、スパゲティに対する欲求が勝利を占めたことになるが、これが通常意志と呼ばれるものである。この場合、意志は昨日ラーメンを食べたという運動によって決定されている。このことから、意志は欲求という運動によって必然的・機械的に決定されるものなので、ホッブズによれば自由意志というものは存在しないのである。このような点からホッブズは無神論者とされ、当時の宗教家から多大な批判を受けることとなる。
※なお、快と不快はホッブズにおいては善と悪に結び付く。すなわち、自己の生命を保存するものが善であり、阻害するものが悪である。このような考え方は、後に登場するベンサムやミルによって説かれた功利主義に結び付く。功利主義はホッブズや、経験論のヒュームの影響を受けているとされる。
 ホッブズにおいては自己保存の欲求に従って、その欲するがままに行動することが認められる。すなわち、国家や社会による拘束がない自然状態を考えてみると、そこでは全ての人間が利己的に行動し、自己を保存するために互いに殺したり征服したりするのである。このような状態を指して、ホッブズは「万人の万人に対する戦い」であるとしたのは有名である。また、ホッブズはこのような行動を、自然権に基く行為であるとして承認する。自然権とは、人間の自然な本性に根ざした権利で、全ての人間に生まれつき備わっている権利である。ホッブズにおいては、自己を保存する権利が自然権として認められるのである。
 しかし、このように各人が自己保存を目指して無制限に行動すると、ある巨大な矛盾が現れる。というのも、自己保存こそが人間にとって最大の目的であるはずだが、「万人の万人に対する戦い」という自然状態においては、常に他人に殺されたり征服される危険にさらされており、自己保存を追求するがゆえにかえって自己保存からは程遠い状態に陥ってしまっているのである。そこで、人間はこのような危険な状態を脱する、すなわち平和を求めるようになる。そのためには、各人が自己の自然権を一つの意志に譲り渡すことが必要である。そこで、人々は互いに契約を結んで相互の自由な行動をを制限し、一つの権力に権利を譲り渡すことで、平和と安全を得ることができる。これは国家成立の理論上の仮説であり、国家は個人相互の契約に基いて成立するという理論上の考え方を社会契約説と言う。
 こうした社会契約によって国家が成立するというのは、彼の主著『リヴァイアサン』に書かれた。リヴァイアサンとは旧約聖書に登場する巨大な水棲動物であり、国家を各人の権利を飲み込んだ怪物であるように例えたことからこの書名が付いた。『リヴァイアサン』の表紙には巨大な王が描かれているが、その鱗のような体はよく見ると人間でできているのがわかる。すなわち国家の権力は、平和と安全を目指す以上絶対的なものであり、個人はその権力に絶対服従しなければならない。ここからホッブズは専制君主制を国家制度の理想とし、その君主が定めた法によって善悪が決定する。言い換えれば、自然状態では各人の状況次第で変化していた善悪の一般的な基準が、ここに来て初めて決定されるのである。
 以上に述べたホッブズの思想史上の意義は、近代的な政治思想を体系的に展開し、社会契約という概念を提出したというところに認められるだろう。

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