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イエスとは わかりやすい世界史用語1181
著作名: ピアソラ
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エルサレムへの道と受難の予測

公生涯の後半、イエスは自らの死と復活について弟子たちに語り始め、最終的な目的地であるエルサレムへと向かいます。

ペトロの信仰告白と受難の予告: ガリラヤ地方のカイサリア・フィリピで、イエスが弟子たちに「人々はわたしを誰だと言っているか」と尋ねると、弟子たちは洗礼者ヨハネ、エリヤ、あるいは預言者の一人だという声があると答えました。さらにイエスが「それでは、あなたがたはわたしを誰だと言うのか」と問うと、ペトロが「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です」と答えました(マタイ16:13-20、マルコ8:27-30、ルカ9:18-21)。この信仰告白の後、イエスは初めて、自分がエルサレムで長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目に復活することになっている、とはっきりと弟子たちに告げ始めました(受難の第一予告)。ペトロはこの言葉を受け入れられず、イエスをいさめようとしましたが、逆にイエスから「サタンよ、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しく叱責されました(マタイ16:21-23、マルコ8:31-33)。イエスはこの後も、エルサレムへ向かう途上で二度、同様の受難と復活の予告を繰り返します(第二予告:マタイ17:22-23、マルコ9:30-32、ルカ9:43-45; 第三予告:マタイ20:17-19、マルコ10:32-34、ルカ18:31-34)。
変容 (Transfiguration): ペトロの信仰告白の後、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子だけを連れて高い山に登りました。そこでイエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなりました。そして、モーセ(律法を代表)とエリヤ(預言者を代表)が現れ、イエスと語り合いました(ルカによれば、エルサレムで遂げられるイエスの最後について話していた)。その時、光り輝く雲が彼らを覆い、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声がしました(マタイ17:1-8、マルコ9:2-8、ルカ9:28-36)。この出来事は、イエスの神性、栄光を垣間見せ、彼の使命が旧約聖書の律法と預言の成就であることを示し、父なる神からの最終的な承認を与えるものと解釈されています。
エルサレムへの旅: イエスはガリラヤを離れ、サマリア地方を通り(あるいは迂回し)、ヨルダン川東岸のペレア地方を経て、ユダヤ地方のエルサレムへと向かいました。この旅の途中でも、多くの教え(例:善いサマリア人のたとえ、マリアとマルタの話、主の祈りの教え、金持ちの青年との対話、ザアカイの話など)を語り、奇跡を行いました。弟子たちの間では、誰が一番偉いかという議論も起こり、イエスは仕えることの重要性を教えました。

エルサレムでの最後の週(受難週、Passion Week)

イエスがエルサレムに入城してから十字架につけられるまでの最後の一週間は、キリスト教の伝統において「受難週」と呼ばれ、極めて重要な出来事が集中しています。

エルサレム入城 (Triumphal Entry): 過越祭(ユダヤ人がエジプト脱出を記念する重要な祭り)が近づいた日曜日(「棕櫚の主日」と呼ばれる)、イエスはろばの子に乗ってエルサレムに入城しました。多くの群衆が自分の上着や木の枝(ヨハネ福音書では「なつめやしの枝」)を道に敷き、「ホサナ(救ってください)!ダビデの子に!主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ!」と叫んでイエスを迎えました(マタイ21:1-11、マルコ11:1-11、ルカ19:28-40、ヨハネ12:12-19)。これは、旧約聖書の預言(ゼカリヤ書9:9)の成就であり、人々がイエスを待望のメシア(王)として迎えたことを示しています。しかし、彼らが期待したメシア像(ローマからの政治的解放者)と、イエスが示そうとしていたメシア像(苦難を通して神の国をもたらす者)との間には隔たりがありました。
神殿清め (Cleansing of the Temple): エルサレムに入ったイエスは、神殿の境内(異邦人の庭)で、両替商や鳩を売る者たちの台を倒し、彼らを追い出しました。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」(マタイ21:13、イザヤ書56:7、エレミヤ書7:11からの引用)と非難しました。この行為は、神殿が本来の目的(礼拝と祈り)から逸脱し、商業主義によって汚されていることに対する預言者的な抗議であり、神殿を中心とする当時の宗教体制への挑戦と受け止められました。この出来事は、祭司長や律法学者たちの敵意を決定的なものにし、彼らがイエスを殺害する計画を具体化させるきっかけとなりました(マルコ11:18、ルカ19:47-48)。
神殿での教えと論争: 週の前半、イエスは毎日神殿で教えを説き、民衆は熱心に耳を傾けました。一方、祭司長、律法学者、長老、ファリサイ派、サドカイ派などの宗教指導者たちは、次々とイエスに論争を仕掛け、彼の権威の源泉、納税の問題(「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」マタイ22:21)、復活についての問い、最も重要な掟(神への愛と隣人への愛、マタイ22:37-40)などについて問いただしました。イエスは巧みな応答で彼らを論破しましたが、対立はますます深まりました。また、イエスは偽善的な宗教指導者たちを厳しく非難し(マタイ23章「七つの禍い」)、エルサレムの滅亡と世の終わりについての預言(終末預言)も語りました(マタイ24-25章、マルコ13章、ルカ21章)。
裏切りの計画: 宗教指導者たちがイエスを殺害する方法を画策している中、十二弟子の一人であるイスカリオテのユダが、祭司長たちのもとに行き、銀貨30枚でイエスを引き渡すことを申し出ました(マタイ26:14-16、マルコ14:10-11、ルカ22:3-6)。裏切りの動機については、金銭欲、イエスへの失望(期待した政治的メシアではなかった)、悪魔の影響など、様々な解釈があります。

最後の晩餐 (Last Supper): 過越祭の準備の日(木曜日)、イエスは弟子たちと共にエルサレム市内の階上の部屋で過越の食事をとりました。これが「最後の晩餐」として知られています。この食事の席で、イエスはパンを取り、祝福して裂き、弟子たちに与えて「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言いました。また、杯を取り、感謝の祈りを捧げて彼らに与え、「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ26:26-28、マルコ14:22-24、ルカ22:17-20、コリント第一11:23-26)と言いました。これは、キリスト教における聖餐式(Eucharist / Communion)の起源となりました。この食事の席で、イエスは弟子たちの一人が自分を裏切ることを予告し(ユダがそれであると示唆)、ペトロが三度自分を否認することも予告しました。また、ヨハネ福音書では、この機会にイエスが弟子たちの足を洗い(互いに仕え合うことの模範を示す)、新しい掟(互いに愛し合うこと)を与え、長い告別の説教と祈り(聖霊の約束、父なる神との一致など)を行ったことが記されています(ヨハネ13-17章)。
ゲッセマネの祈りと逮捕 (Prayer in Gethsemane and Arrest): 最後の晩餐の後、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴って、オリーブ山の麓にあるゲッセマネの園に行き、祈りました。差し迫った苦難と死を前にして、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26:39)と、深い苦悩の中で神の意志への服従を表明しました。弟子たちは眠ってしまっていました。そこに、剣や棒で武装した大勢の群衆(祭司長、長老たちから遣わされた者たち)が、ユダを先頭にやって来ました。ユダは接吻をもってイエスを示し、イエスは捕らえられました。ペトロは剣を抜いて大祭司の僕の耳を切り落としましたが、イエスはそれを止めさせました(マタイ26:36-56、マルコ14:32-52、ルカ22:39-53、ヨハネ18:1-12)。
ユダヤ当局による裁判 (Trial before Jewish Authorities): イエスはまず、前大祭司アンナスのもとに、次にその年の大祭司カヤパの官邸に連れて行かれました。そこで、祭司長、長老、律法学者たちからなる最高法院(サンヘドリン)による夜間の非公式な審問(または早朝の正式な裁判)が行われました。多くの偽証者たちが立てられましたが、証言は一致しませんでした。最後に大祭司が「お前は神の子、メシアなのか」と問うと、イエスは肯定的に答え、「人の子が力ある方の右に座り、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るだろう」(マルコ14:62)と述べました。これを聞いた大祭司は衣を引き裂き、イエスが神を冒涜したと断定しました。議員たちは全員、イエスが死刑に値すると議決しました。彼らはイエスにつばを吐きかけ、目隠しをして殴り、「預言してみろ」などと侮辱しました(マタイ26:57-68、マルコ14:53-65、ルカ22:54, 63-71)。一方、中庭にいたペトロは、人々に問い詰められ、三度イエスを知らないと否認し、鶏が鳴くのを聞いて激しく泣きました(マタイ26:69-75、マルコ14:66-72、ルカ22:54-62、ヨハネ18:15-18, 25-27)。
ローマ総督ピラトによる裁判 (Trial before Pontius Pilate): ユダヤの最高法院には死刑を執行する権限がなかったため(ヨハネ18:31)、彼らは夜明けと共にイエスをローマ総督ポンティウス・ピラトゥスの官邸に連れて行きました。ピラトゥスに対しては、神冒涜という宗教的な罪状ではなく、「民衆を惑わし、皇帝(カイザル)への納税を禁じ、自分を王(メシア)だと主張している」という政治的な罪状で訴えました(ルカ23:2)。ピラトゥスはイエスを尋問し、「お前はユダヤ人の王なのか」と問うと、イエスは「それは、あなたが言っていることです」と答えました(マタイ27:11)。ピラトゥスはイエスに何の罪も見いだせなかったと何度か述べ、イエスを釈放しようと試みました。
ヘロデ・アンティパスへの送致(ルカのみ): イエスがガリラヤ出身であることを知ったピラトゥスは、当時エルサレムに来ていたガリラヤの分封王ヘロデ・アンティパスのもとにイエスを送りました。ヘロデはイエスに会えたことを喜び、奇跡を見ることを期待しましたが、イエスは何も答えませんでした。ヘロデはイエスを侮辱し、派手な衣装を着せてピラトゥスのもとに送り返しました(ルカ23:6-12)。
バラバの選択: ピラトゥスは、過越祭の慣習として、囚人を一人恩赦で釈放することになっていたため、群衆に、イエスか、暴動と殺人のかどで捕らえられていたバラバという囚人のどちらを釈放してほしいか尋ねました。しかし、祭司長たちに扇動された群衆は、「バラバを釈放しろ!イエスを十字架につけろ!」と叫びました。
鞭打ちと死刑判決: ピラトゥスは群衆をなだめようと、イエスを鞭打ちにさせましたが、群衆の「十字架につけろ」という要求は収まりませんでした。彼らはさらに、「彼は自分を神の子とした。我々の律法によれば、彼は死に値する」と主張しました(ヨハネ19:7)。ピラトゥスは暴動が起こることを恐れ、また自身への訴えを恐れて(「もしこの男を釈放するなら、あなたはカイザルの友ではない。自分を王とする者は皆、カイザルに背いている」ヨハネ19:12)、ついに群衆の要求に屈し、手を洗って「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と言い(マタイ27:24)、イエスを十字架刑に引き渡すことを決定しました(マタイ27:11-26、マルコ15:1-15、ルカ23:1-25、ヨハネ18:28-19:16)。





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