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【ファシズム国家の成立、枢軸陣営の形成、盧溝橋事件と日中戦争】 受験日本史まとめ 74 |
著作名:
Cogito
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日本の華北進出
満州事件の事後処理として、1933年(昭和8年)に日本は中国の国民政府と日中軍事停戦協定(塘沽停戦協定)を結びましたが、日本陸軍は更なる中国進出の機会をうかがっていました。1935年(昭和10年)11月、長城以南の非武装地帯に冀東防共自治政府を成立させ、中国国民政府から切り離す華北分離工作ををすすめ、1936年(昭和11年)には、広田内閣も華北5省を日本の影響下に置く方針を固めました。その後、広田内閣は軍備拡張による国際収支の悪化に不満を持つ政党勢力と、高度国防国家成立を目指す軍部の挟撃にあい1937年(昭和12年)1月に退陣しました。このあと、元老西園寺公望が陸軍を抑えるため元陸軍大臣の宇垣一成を後継首相に指名しましたが、陸軍の中で中堅層幹部が陸軍に対する抑制になるとして反対し、軍部大臣現役武官制を利用し陸軍大臣を推薦しないことにしたため、内閣は成立しませんでした(流産内閣)。その後陸軍が推す林銑十郎(満州事変のときの越境将軍)を首相とする内閣が成立しましたが、立憲政友会や立憲民政党など既成政党の協力が得られず、同内閣は4ヶ月あまりで退陣しました。
林内閣のあとを受けて、当時若く革新的政治家と見られていた近衛文麿(1891~1945)が内閣を組織しました。近衛文麿は、青年時代にアメリカ・イギリス中心の国際社会に反対する評論を書くなど、軍部からも政党政治と協調外交を打破する革新政治家として期待されており、国民の間でも首相就任時45歳と若く、政党政治の腐敗に汚されていない政治家として支持されていました。
一方中国では、蒋介石が指導する国民党と、毛沢東(1893~1976)が指導する共産党の内戦が続き、1934年(昭和9年)から共産党による瑞金から延安への長征がはじまりました。こうした中、中国共産党は1935年8月に抗日救国統一戦線を呼びかけた八・一宣言を発表しました。日本軍の華北進出が活発化すると、蒋介石の支持により共産党軍と戦っていた張学良が共産党の抗日戦線統一の呼びかけに同調し、1936年(昭和11年)12月、西安を訪れた蒋介石をとらえ、内戦停止と挙国抗日を迫りました。共産党の指導者周恩来と蒋介石・張学良の三者会談が行われ、この西安事件をきっかけに、1937年(昭和12年)9月、第二次国共合作が成立しました。
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