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史記『荊軻・図窮而匕首見』(群臣皆愕〜)書き下し文・現代語訳と解説
著作名: 走るメロス
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史記『荊軻・図窮而匕首見』

ここでは司馬遷が著した史記から『荊軻・図窮而匕首見』の「群臣皆愕〜」から始まる部分の書き下し文・現代語訳(口語訳)と解説を行っています。

十八史略のものとは異なるので注意してください。

白文(原文)

群臣皆愕。
卒起不意、尽失其度。
而秦法、群臣侍殿上者、不得持尺寸之兵
諸郎中執兵皆陳殿下。
非有詔召不得上。
方急時、不及召下兵。
以故荊軻乃逐秦王。
而卒惶急
無以撃軻而以手共搏之。
是時侍医夏無且以其所奉薬囊提荊軻也。
秦王方環柱走。
卒惶急。
不知所為。
左右乃曰、
「王負剣。」


負剣、遂抜以撃荊軻、断其左股。
荊軻廃。
乃引其匕首以擿秦王。
不中。
中銅柱。
秦王復撃軻。
軻被八創。
軻自知事不就、倚柱而笑、箕踞以罵曰、
「事所以不成者、以欲生劫之必得約契以報太子也。」


於是左右既前殺軻。
秦王不怡者良久。

書き下し文

群臣皆愕(おどろ)く。
卒(には)かに起こること不意なれば、尽(ことごと)く其度を失ふ。
而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は、尺寸(せきすん)の兵をも持するを得ず。
諸郎中兵を執りて皆殿下に陳す。
詔有りて召さるるに非ざれば上るを得ず。
急時に方(あ)たり、下兵を召すに及ばず。
故を以て荊軻乃ち秦王を逐(お)ふ。
而して卒(にわ)かに惶急(こうきゅう)なり。
以て軻を撃つもの無くして手を以て共に之を搏(う)つ。
是(こ)の時侍医夏無且(かむしょ)其の奉ずる所の薬囊を以て荊軻に提(なげう)つなり。
秦王方(まさ)に柱を環りて走る。
卒かに惶急なり。
為す所を知らず。
左右乃ち曰はく、
「王剣を負へ。」と。


剣を負ひ、遂に抜きて以て荊軻を撃ち、其の左股(さこ)を断つ。


荊軻廃(たお)る。
乃ち其の匕首を引きて以て秦王に擿(なげう)つ。
中(あ)たらず。
銅柱に中たる。
秦王復た軻を撃つ。
軻八創を被る。
軻自ら事の就(な)らざるを知り、柱に倚(よ)りて笑ひ、箕踞(ききょ)して以て罵りて曰はく、
「事の成らざる所以の者は、生きながら之を劫(おびや)かし必ず約契を得て以て太子に報ぜんと欲するを以てなり。」と。


是に於いて左右既に前みて軻を殺す。
秦王怡(よろこ)ばざる者(こと)良(やや)久し。

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