マッサリアとは
古代ギリシアの植民市マッサリア(現マルセイユ)は、紀元前600年頃にフォカイア人(ポカイア人)によって設立されました。この都市は、地中海沿岸の重要な貿易拠点として発展し、ギリシア文化の西方への拡散に大きく寄与しました。
マッサリアの設立と初期の歴史
マッサリアは、イオニアの都市フォカイア(現トルコのフォチャ)からの植民者によって設立されました。フォカイア人は、ペルシアの侵攻から逃れるために新しい土地を求めて地中海を航海し、現在のフランス南部の地中海沿岸に到達しました。この地は、ローヌ川の東に位置し、自然の良港を持つ戦略的な場所でした。
経済と貿易
マッサリアは、その地理的な位置を活かして、地中海全域との貿易を盛んに行いました。特に、スペイン、コルシカ、リグリアなどの地域との交易が活発であり、これらの地域に多くの交易拠点を設立しました。マッサリアの商人たちは、ワイン、オリーブ油、陶器などのギリシア製品を輸出し、金属、木材、穀物などの原材料を輸入しました。
文化と社会
マッサリアは、ギリシア文化の重要な中心地としても知られていました。都市の建築、芸術、宗教はギリシアの影響を強く受けており、アゴラ(市場)や神殿などの公共施設が建設されました。また、教育機関や図書館も設立され、学問や哲学が盛んに行われました。
探検と地理的知識
マッサリアは、古代の探検家たちの出発点としても重要でした。これらの探検は、地中海世界の地理的知識を大いに広げました。
ローマとの関係
マッサリアは、ローマとの関係においても重要な役割を果たしました。ポエニ戦争の間、マッサリアはローマの忠実な同盟国として行動し、カルタゴの敗北後には地中海西部での支配権を強化しました。しかし、カエサルと元老院の内戦では、マッサリアはカエサルの敵側に付き、最終的にはカエサルの軍に包囲され降伏しました。
マッサリアの遺産
今日のマルセイユは、フランス最古の都市であり、ヨーロッパでも最も古くから継続的に人が住んでいる都市の一つです。古代のマッサリアの遺跡は、現代のマルセイユの中に多く残されており、考古学的な発見が続いています。特に、古代の港や倉庫、船の残骸などが発見されており、当時の貿易活動の様子を知る手がかりとなっています。