欧陽詢とは
欧陽詢(557年 - 641年)は、中国の初唐時代の書家、政治家、学者として知られています。彼の字は信本(しんほん)であり、湖南省長沙に生まれました。彼の家族は代々官僚を務めており、彼自身もその伝統を受け継ぎました。
欧陽詢は幼少期から学問に優れ、古典文学に深い造詣を持っていました。隋朝時代には611年に太医として仕え、その後、唐朝に仕えてからは弘文館の学士として活動しました。彼は書道を教え、多くの弟子を育てました。
彼の書道は特に楷書(かいしょ)で知られており、その作品は「九成宮醴泉銘」などが有名です。彼の書風は「欧体」として後世に伝えられ、整然とした構造と秩序感が特徴です。また、彼は「初唐の四大家」の一人として、虞世南、褚遂良、薛稷と並び称されました。
文化的影響
欧陽詢の書は、中国国内だけでなく、日本やベトナム、ソグディアナなどの地域にも影響を与えました。例えば、日本の朝日新聞のロゴに使用されている文字は、彼の作品「宗聖寺碑」から取られたものです。
書道の技法と影響
欧陽詢の書道は、筆の使い方において非常に独特であり、彼自身もその技法を探求し続けました。ある日、彼は晋代の有名な書家である索靖の碑文を見つけ、その筆使いの秘密を理解するために三日間かけて研究しました。この経験を通じて、彼の書道はさらに完成度を増しました。
彼の楷書は、中国書道史上の四大楷書の一つとされ、他の三つは顔真卿、柳公権、趙孟頫の作品です。