州県制
隋は、中国を再統一した後、行政区画の再編成を行いました。隋の行政制度は、三省六部制と呼ばれる中央集権的な体制を採用しました。この制度は、中央政府の効率的な運営を目的としており、三省(門下省、中書省、尚書省)と六部(吏部、戸部、礼部、兵部、刑部、工部)から構成されていました。
隋の州県制では、全国を州(州)と県(県)に分けました。州はさらに郡(郡)に分けられ、郡は県に分けられました。州は地方行政の基本単位であり、州の長官は刺史(しし)と呼ばれました。刺史は中央政府から任命され、州内の行政、司法、軍事を統括しました。県の長官は県令と呼ばれ、県内の行政を担当しました。
唐の州県制
唐朝は、隋の行政制度を引き継ぎ、さらに発展させました。唐の行政区画は、道(道)、州(州)、県(県)の三層構造で構成されていました。道は、中央政府の監視下にある広域行政区画であり、道の長官は巡察使と呼ばれました。巡察使は、道内の州や県の行政を監視し、中央政府に報告する役割を果たしました。
州は、唐の地方行政の基本単位であり、州の長官は刺史と呼ばれました。刺史は、州内の行政、司法、軍事を統括し、中央政府から任命されました。州は、上州、中州、下州に分類され、人口に応じて区分されました。上州は4万戸以上、中州は2万戸以上、下州は2万戸未満の人口を持つ州でした。
県は、州の下位に位置する行政区画であり、県の長官は県令と呼ばれました。県令は、県内の行政を担当し、州の刺史に報告しました。唐の時代には、全国に約1,500超の県が存在しました。
州県制の意義と影響
隋と唐の州県制は、中国の地方行政制度の基盤を築きました。この制度は、中央集権的な統治を可能にし、地方の安定と発展を促進しました。特に唐の時代には、州県制がさらに整備され、地方行政の効率化が図られました。
また、州県制は、後の宋(960-1279年)や明(1368-1644年)などの王朝にも影響を与えました。唐の道の区分は、宋の路(ろ)という新しい行政区画に引き継がれました。このように、隋と唐の州県制は、中国の歴史において重要な役割を果たし、後世の行政制度に大きな影響を与えました。
隋と唐の州県制は、中国の地方行政制度の発展において重要な位置を占めています。隋の三省六部制と州県制は、中央集権的な統治を可能にし、唐の時代にはさらに発展しました。これにより、地方の安定と発展が促進され、後の王朝にも影響を与えました。隋と唐の州県制は、中国の歴史において重要な役割を果たし、後世の行政制度に大きな影響を与えました。