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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ギリシア世界

ペルシア戦争 ~ギリシアとアケメネス朝 戦争の影響と戦後の参政権拡大~

著者名: エンリケ航海王子
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ペルシア戦争の内容

ペルシア戦争は三回にわたって行われました。第1回目は、地中海で嵐が起き、ペルシアの軍艦が大破したため、延期されます。

第2回ペルシア戦争

マケドニア地方を征服したペルシア軍は、陶片追放によってギリシアを追放された元僭主のヒッピアスの案内によって、ギリシア東部のマラトンに上陸します。

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(第2回ペルシア戦争の進路)

マラトンの戦いにおけるギリシア軍の指導者はミルティアデスで、強大なペルシア軍に対し、1万人の重装歩兵集団が奮闘し、これを撃破します。

このマラトンの戦い際、一人の兵士が武装したままアテネまで走りぬき、勝利を伝え絶命したという話が残っています。これをもとに、以後オリンピア競技会でアテネ・マラトン間における長距離競技が始まりました。現在のオリンピック種目でもあるマラソンの起源だと言われています。


第3回ペルシア戦争

マラトンの戦いに大敗したペルシア側は、第3回の遠征を計画します。ダレイオス1世の後継者で王となったクセルクセス1世は、紀元前480年に20万人に及ぶ軍団を率いてギリシアに攻め込みます。

この戦争は、全ギリシア対アケメネス朝ペルシアの総力戦となります。

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(第3回ペルシア戦争の進路)

侵攻が開始された年、テルモピレーの戦いが起こります。スパルタ王レオニダスが、重装歩兵を引き連れ圧倒的なペルシア軍に挑みますが、奮闘もむなしく全滅します。

連敗が続く中、紀元前408年、アテネの指導者テミストクレスは、ギリシア連合艦隊の全海軍力を集結させ、サラミス湾でペルシア軍と対峙しました。

艦隊の数で劣るギリシア連合艦隊でしたが、これに勝利しクセルクセス1世の戦意は喪失します。

この時、用いられた船は、多数の漕ぎ手を必要とする三段櫂船という軍艦でした。

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(三段櫂船)

アテネは、武器を自分で購入できず、戦争に参加できなかった無産市民という人々をこの軍艦の漕ぎ手として招集しました。

この海戦における彼らの活躍がめざましかったので、戦争後市民の政治的発言権が増し、それがのちに参政権の拡大につながり、結果的に民主制発展の大きな契機となりました。

翌年紀元前479年には、アテネとスパルタの連合軍が、プラタイアの戦いでペルシア陸軍を撃破し、これがペルシア戦争の最後の戦いとなります。

ギリシア側は、ペルシアの脅威に備えるために、アテネを中心とした軍事同盟であるデロス同盟を結成します。その後紀元前449年、アケメネス朝とデロス同盟との間にカリアスの和約が締結され、ペルシア戦争は正式に終結します。
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