『後漢書』東夷伝
前漢は、紀元後8年に王莽によって滅ぼされ一時的に断絶しますが、その後、
光武帝によって復興し、
後漢が建国されます。
『後漢書』は、范曄が書いたこの時代の歴史書で、この中の東夷伝に倭奴国についての記述があります。
建武中元二年、倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し歴年主なし。(建武中元二年=紀元後57年、倭の奴国が朝貢にやってきた。使者の身分は大夫といった。倭国は南の果てにある。光武帝はこれに紐付きの印を与えた。安帝の永初元年=107年、倭国王帥升たちが生きた奴隷160人を貢物として朝貢にやってきた。桓帝・霊帝の時代、倭国は大いに乱れ、互いに攻撃し合い、これをおさめるものはいなかった。)
後漢を建国し、漢帝国を再興した
光武帝は、倭奴国に対し金印を与えました。これは天子が臣下に対して与えた印綬であったとされています。
この金印は、後世の江戸時代に1784年に福岡県の
志賀島で発見されました。
金印は、『漢委奴国王』と刻まれていました。倭から委に漢字が変わっています。注意!
その後、倭国王
帥升たちが奴隷を連れて朝貢しますが、桓帝・霊帝の時代に倭国は内乱によって大きく乱れたとあります。