保護貿易主義と自由貿易主義
一方、経済的にも、2つの主義が対立していました。
保護貿易主義
保護貿易主義は、イギリスからの輸入品に高関税を課し、流入を防ぐことでアメリカの工業製品の発達を目指すものでした。主に
東北部が主張しました。
自由貿易主義
自由貿易主義は、イギリスとの貿易を自由化し、綿花やタバコの輸出とイギリス製品の輸入を促進することを目指すものでした。主に
南部が主張しました。
このように、建国後のアメリカでは政治的、経済的な対立が進んでいました。
領土の拡大
19世紀、ヨーロッパではナポレオンが大きな権力を握っていました。彼は、
ハイチの独立運動鎮圧の戦費を賄うため、アメリカ大陸にあったフランスの領土
ルイジアナを売却したがっていました。
この打診を受け、第3代大統領になっていた
ジェファソンは、ミシシッピ川以西ルイジアナを1500万ドルで買収し、西部への領土拡大がはじまります。
西部開拓は西漸運動とも言われ、開拓者精神(フロンティアスピリット)のもと、積極的に進められました。
その結果、アメリカの領土は次々に拡大していきますが、同時に先住民インディアンは土地を奪われ、苦難の時代を迎えます。
この西部開拓を正当化した言葉が「マニフェスト=デスティニー」で、領土拡大は神から与えられた使命であるという考えも生まれました。
アメリカの領土拡大は以下のように進んでいきます。
地域 | 年 | どこから獲得したか |
ルイジアナ | 1803年 | フランスから買収 |
フロリダ | 1819年 | スペインから買収 |
テキサス | 1845年 | メキシコから独立後併合 |
カリフォルニア | 1848年 | メキシコから割譲 |
オレゴン | 1846年 | イギリスから併合 |
領土拡大のさなか、1848年にはカリフォルニアで金鉱が発見され世界中から移民が殺到する
ゴールドラッシュが始まり、その結果、
鉄道や
蒸気船などの交通網が発達し、西部開拓はさらに進むことになります。