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後唐とは わかりやすい世界史用語721
著作名: ピアソラ
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後唐とは

後唐は、中国の五代十国時代に存在した短命な王朝で、923年から936年まで続きました。この時代は、唐王朝の後継を自称し、北中国の大部分を支配しました。後唐は、李存勗によって建国され、彼は初代皇帝として923年から926年まで統治しました。

後唐の成立と背景

後唐の成立は、唐王朝の崩壊後の混乱期に起こりました。唐王朝が907年に滅亡した後、中国は五代十国時代と呼ばれる分裂と内戦の時代に突入しました。この時代には、五つの主要な王朝(後梁、後唐、後晋、後漢、後周)が次々と興亡し、十以上の地方政権が並立しました。

李存勗は、唐王朝の将軍であった李克用の息子であり、彼の父が築いた晋国を基盤にして後唐を建国しました。李存勗は、923年に後梁を滅ぼし、自らを皇帝と宣言しました。彼の治世は短かったものの、彼は北中国の大部分を統一し、後唐の基盤を築きました。



後唐の皇帝たち

後唐の皇帝は四人いました。初代皇帝の李存勗(荘宗)は、923年から926年まで統治しました。彼の死後、李嗣源(明宗)が即位し、926年から933年まで統治しました。明宗の治世は比較的安定しており、彼は内政と経済の安定に努めました。

明宗の死後、李従厚(閔帝)が933年から934年まで短期間統治しましたが、彼は内部の反乱によって廃位されました。最後の皇帝は李従珂(末帝)で、934年から936年まで統治しました。彼の治世もまた短く、936年に彼は部下の石敬瑭によって廃位され、後唐は滅亡しました。

後唐の滅亡

後唐の滅亡は、内部の権力闘争と外部の圧力によるものでした。石敬瑭は、契丹(遼)の支援を受けて反乱を起こし、936年に後唐を滅ぼしました。石敬瑭は後晋を建国し、契丹に対して多大な貢納を行うことでその支援を得ました。

後唐は短命な王朝であったため、文化的な発展は限定的でしたが、唐王朝の伝統を引き継ぐ努力が見られました。後唐の皇帝たちは、唐王朝の栄光を再現しようとし、儀礼や制度の復興に努めました。また、後唐の時代には、詩や書道などの文化活動も続けられました。

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