更新日時:
|
|
国際連盟の設立 国際連合との違い |
|
著作名:
早稲男
17,616 views |
第一次世界大戦の後、国際平和を遂行するための国際機関が必要であるという考えから、アメリカ大統領ウィルソンの提案によって、 国際連盟が設立されます。(本部はスイスのジュネーブ)
当初は日本を含めた4カ国(フランス・イギリス・イタリア・日本)が常任理事国を務めました。
現在の国際連合の前進とも言える国際連盟ですが、決定的に異なることが3点程ありました。
まず提唱した張本人であるアメリカは国際連盟に参加しませんでした。
これはヨーロッパのことには口を出さないというモンロー思想が当時のアメリカの主流であり、世論が国際連盟への参加を拒んだためです。
また大国ロシアもロシア革命の後、あたらしくソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生したばかりで、当初は加入が認められていませんでした。
当然のことながら、第一次世界大戦の敗戦国であったドイツも仲間はずれです。
このように大国が不参加であったために、国際連盟はうまく機能するかという点では不十分なものでした。
国際連合では、国際連合の指揮下にある軍隊を持っています。PKO(平和維持活動)での活躍が大半ですが、れっきとした軍です。
しかし国際連盟にはこの軍がありませんでした。つまり、なにか1国が非人道的な振る舞いをみせても軍で制裁を加えるということができなく、あくまでも口頭での注意勧告が国際連盟の大きな仕事になっていたのです。
国際連盟では何か事を決めるときに、 加盟国すべての賛成を得ることが必要でした。
最大で60カ国近く加盟国がありましたので、すべての国の賛成を得るということは大変です。
これでは大切な決め事はなかなか決まりませんね。
ちなみに、満州事変は日本が自作自演で行ったものであり、日本の満州支配は無効であるとした決議に関しては、日本以外すべて賛成をし(タイは棄権)、それがきっかけで日本は国際連盟を脱退することになります。
この国際連盟ですが、新渡戸稲造が事務局長次長として選出されており、日本の国際連盟におけるポジションは相当なものでした。後にこれを脱退し第二次世界大戦・太平洋戦争へと突入してしまうわけですが、脱退前後の10~15年における日本の変化には驚かされるものがあります。
二度と繰り返してはいけない過ちですね。
このテキストを評価してください。
役に立った
|
う~ん・・・
|
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。 |
|
【憲政擁護運動、第一次世界大戦のはじまり、辛亥革命、ロシア革命】 受験日本史まとめ 65
>
二十一か条の要求
>
【二十一カ条の要求、大戦景気、大正デモクラシー、原内閣の成立】 受験日本史まとめ 66
>
【第一次世界大戦の終結、ヴェルサイユ条約、ワシントン会議、国際協調の時代】 受験日本史まとめ 67
>
第一次世界大戦に日本が参戦した理由
>
最近見たテキスト
国際連盟の設立 国際連合との違い
10分前以内
|
>
|
デイリーランキング
注目テキスト
日本史
- 原始・古代の社会・文化と東アジア
- 先土器時代・縄文時代
- 弥生時代・古墳時代
- 飛鳥時代・奈良時代
- 平安時代
- 中世の社会・文化と東アジア
- 鎌倉時代
- 南北朝時代・室町時代
- 近世の社会・文化と国際関係
- 戦国時代・安土桃山時代
- 江戸時代
- 近代日本の形成とアジア
- 18世紀における国際環境の変化
- 開国・明治維新
- 立憲政治・憲法制定・議会の設立
- 条約改正・日清/日露戦争
- 近代産業の発展と文化の特色
- 両世界大戦期の日本と世界
- 第一次世界大戦
- 政党政治の発展と大衆文化の形成
- 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争
- 第二次世界大戦後の日本と世界
- 占領下の日本
- 高度成長の時代
- その他
- その他