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【天智天皇の改革、白村江の戦い、律令国家の形成】 受験日本史まとめ 10 |
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著作名:
Cogito
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655年、朝鮮半島では高句麗と百済の連合が成立し、新羅へ侵攻しました。新羅は唐へ救援を求め、これに唐の高宗が応じ、660年に百済を攻め、義慈王を降伏させ、百済を滅ぼしました。
朝鮮半島各地に残っていた百済の遺臣は、百済再興を目指し、倭国に滞在していた義慈王の王子豊璋の送還を求めてきました。
一方、そのころ倭国では、孝徳天皇の死後皇極天皇が重祚(ちょうそ:一度退位した君主が再び即位すること)し、斉明天皇として即位しました。
斉明天皇と中大兄皇子は、朝鮮半島における倭国の優位性を復活させるため、百済救援の大軍を派遣することを決めます。
斉明天皇の死後、中大兄皇子は大王に即位しないまま戦争を指導し、軍を朝鮮半島に派遣しました。
663年、唐・新羅連合軍との白村江の戦いが起こりますが、倭国の軍隊は、これに大敗してしまいます。
664年、中大兄皇子は、甲子の宣をだし、国政改革を行い、また、唐や新羅からの報復に備えるために国土防衛を強化しました。
対馬・壱岐や北九州に防人(さきもり)や烽(とぶひ)を配置し、筑紫に水城(みずき)を築きました。
また、朝鮮式山城という防衛拠点を、太宰周辺や瀬戸内海沿岸〜大和、大野城・基肄城・長門城に築きました。
667年、都が飛鳥から近江大津宮に遷都され、668年に中大兄皇子は天智天皇(在位668〜671)に即位しました。
天智天皇は、668年に中臣鎌足に近江令を編纂させ、その後670年に全国的な戸籍として庚午年籍を作成させました。
一方唐・新羅の連合軍は668年に高句麗を滅ぼした後、朝鮮支配をめぐって対立し、その後676年に新羅が唐を駆逐し朝鮮半島を統一します。
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