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主権国家体制の成立(スペイン・イギリス・フランスの絶対王政とオランダ独立など) 受験対策問題 59 |
著作名:
レキシントン
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主権国家体制の成立で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
イタリア戦争
・神聖ローマ皇帝(ハプスブルク家)とフランス王は、長きにわたってイタリアをめぐり対立しており、1494年から1559年にかけてイタリア戦争がおこった。フランス王シャルル8世のイタリア侵入がきっかけとなり、その後神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソワ1世の間で大規模な戦争がおこった。イタリア戦争以降広まった軍事革命により、小銃や大砲が戦争の主力となり、中世以来の騎士の没落が決定的となった。イタリア戦争は、フランス王アンリ2世、スペイン王フェリペ2世、イギリス女王エリザベス1世が1559年にカトー=カンブレジ条約を結び、終結した。
・時代が近代に移るにつれ、社団国家や国民国家の成立、国語の普及も進んだ。
主権国家体制の成立と絶対王政
・ 主権国家とは、明確な国境と独立した主権を有する近代国家のことで、これらは互いに競合しながら主権国家体制という国際政治を作り上げた。
・16世紀から18世紀にかけて、各国の中央集権化が進み、絶対王政(絶対主義)が確立していった。絶対王政は、イギリス王ジェームズ1世・フィルマー、フランス王ルイ14世・ボシュエなどが主張した王権神授説というイデオロギーにより正当化され、官僚組織と常備軍により支えられた。
・絶対王政の時代には、官僚組織と常備軍を維持する財政資金を得るため、国家が積極的に経済活動に介入し、重商主義政策が行われた。重商主義には、重金主義、貿易差額主義、産業保護主義などの形態があった。
スペイン
・イベリア半島では、1479年にカスティリャ王国とアラゴン王国が合併し、スペイン王国が成立した。スペインは、1492年ナスル朝の首都グラナダを陥落させ、数世紀に及んだレコンキスタ(国土回復運動)を終えた。
・1273年に初めて神聖ローマ帝国皇帝を輩出したハプスブルク家は、その後マクシミリアン1世の子、王子フィリップとスペイン王女の婚姻により、スペイン=ハプスブルク家が成立した。マクシミリアン1世の孫はカルロス1世としてスペイン王となり、更にフランス王フランソワ1世との選挙に勝ち、神聖ローマ帝国皇帝カール5世にもなった。ハプスブルク家の支配領域は、スペイン、ネーデルラント、ナポリ、ミラノ、オーストリア、新大陸など、広大な地域に及んだ。
・カルロス1世は、スペイン絶対王政を作り上げたが、その後ドイツ宗教改革やフランソワ1世とのイタリア戦争などで王室財政が破綻したため、神聖ローマ帝国皇帝位を弟のフェルディナンド1世に、スペイン王位を息子のフェリペ2世に譲り、退位した。
・フェリペ2世は即位後、カトー=カンブレジ条約を結び、イタリア戦争を集結させた。また、対外的には1571年にレパントの海戦でオスマン帝国を破り、1580年にはポルトガルを併合して「太陽の沈まぬ国」を成立させ、スペイン絶対王政の最盛期を作り上げた。
・熱心なカトリック信者のフェリペ2世は、その後カトリック政策を推進し、新教徒を弾圧したため、オランダ独立戦争を招き、戦費が増大、また、新大陸からの銀の産出も減少し、経済的没落が進んでいった。1588年には、スペインが誇る無敵艦隊(アルマダ)がアルマダの海戦でイギリスに破れ、国力が衰退した。
オランダ
・1477年にハプスブルク家の領地となり、その後1556年にスペイン=ハプスブルク領となったネーデルラントは、中継貿易や毛織物工業で栄え、アントワープが中心都市として繁栄した。商工業者が多いこの地域では、次第にカルヴァン派(ゴイセン)が増え、一大勢力となったが、スペイン王フェリペ2世はカトリック信仰を強制し、アルバ公を派遣し恐怖政治を行った。
・こうしたスペインの圧政に対し、オラニエ公ウィレムを指導者としたネーデルラントの新教徒が立ち上がり、オランダ独立戦争(1568〜1609)がおこった。南部10州は途中で脱落し、スペイン派のアラス同盟を結成したため、残りの北部7州はホラント州を中心とし1579年新たにユトレヒト同盟を結び、その後1581年にネーデルラント連邦共和国の独立を宣言した。スペインは1609年に休戦条約を結び、1648年のウェストファリア条約でオランダ独立が各国に正式に承認された。
・スペイン軍の占領後荒廃しやアントワープに代わり、アムステルダムが政治経済の中心となった。独立を果たしたオランダは、東インド会社・西インド会社を設立し、覇権国家となっていった。
イギリス
・イギリスではテューダー朝のもと絶対王政が成立した。基礎を築いたヘンリ7世、1534年首長法によりイギリス国教会を設立したヘンリ8世、1559年統一法を発布しイギリス国教会を確立したエリザベス1世などが絶対王政期の国王である。
・イギリスでは新たな階層としてジェントリが生まれ、治安判事などを務めた。また、毛織物工業が盛んとなり、15世紀末から17世紀にかけて、第1次囲い込みが行われた。
・エリザベス1世は、フェリペ2世と対抗し、1588年アルマダの海戦でスペイン軍を破り、オランダ独立を後押しした。また毛織物工業の奨励、東インド会社の設立、枢密院の強化、救貧法の制定など、イギリス絶対王政の最盛期を現出した。
・イギリスでは政府の特許状を得た私拿捕船が主要な海上戦力となり、ホーキンズやドレークなどが活躍した。また、エリザベス1世の寵愛を受けたローリなどの探検家も各地に派遣された。
フランス
・フランスでは、ユグノー(カルヴァン派)が一大勢力となったが、カトリックも根強く、新旧両派の対立が進んだ。幼いシャルル9世が即位後、その母のカトリーヌ=ド=メディシスが摂政につくと、ユグノー戦争が勃発した。1572年には、カトリーヌがプロテスタントを標的にしたサン・バルテルミの虐殺が起こり、以後戦争が激化した。
・こうした中、シャルル9世の後に即位したアンリ3世が暗殺され、ヴァロワ朝が途絶えると、アンリ4世が即位し、ブルボン朝を開いた。アンリ4世はユグノーからカトリックに改宗し、ナントの勅令を発布し新旧両派に同等の権利を与えユグノー戦争を終わらせた。
・アンリ4世の暗殺後即位したルイ13世は、名宰相リシュリューの助けを受けながら、三部会の招集を停止し、専制政治を行い絶対王政を確立した。次のルイ14世は、イタリア生まれの宰相マザランのもと、ウェストファリア条約締結やフロンドの乱を鎮圧し、高等法院を屈服させた。マザランの死後、王権神授説を唱え絶対王政を確立したルイ14世は太陽王とよばれ、財務総監コルベールを重用し、王立マニュファクチュアの設立など、重商主義政策を進めた。
三十年戦争
・新大陸やアジアへの進出により、好景気だった16世紀と比べ、17世紀のヨーロッパは海外進出が止まり、経済活動が停滞し、食料不足や魔女狩りなど社会不安が増えた。また、ドイツの三十年戦争、フランスのフロンドの乱、イギリスのピューリタン革命・名誉革命などが起こり、この状況を「17世紀の危機(1620頃〜1720頃)」という。
・ドイツでは、宗教改革後のアウグスブルクの宗教和議以降も新教両派の対立が起こっていた。こうした中、1618年に皇帝がカトリック教徒をベーメン国王に任命し、対抗宗教改革(新教弾圧)を行ったため、これに新教徒が反発し、三十年戦争(1618〜1648)がおこった。
・三十年戦争はその後、各国を巻き込み拡大していった。新教国デンマーク・スウェーデンが参戦し、スウェーデン王グスタフ=アドルフが旧教側のヴァレンシュタインを破るなど連勝した。(グスタフ王はその戦いで戦死)しかし、旧教国フランスが旧教国神聖ローマ帝国を打倒するために参戦するなど、次第に宗教対立と関係のない国際戦争となっていき、1648年のウェストファリア条約でようやく終結した。
・ウェストファリア条約は、ドイツウェストファリア地方のミュンスター・オスナブリュック2都市で講和会議が開かれ、以下の内容が決められた。これにより、神聖ローマ帝国は事実上解体(名目上1806年まで存続)された。
①スイス・オランダ独立
②フランスがアルザス・ロレーヌ獲得
③スウェーデンが西ポンメルン獲得
④ドイツ諸邦が主権確立
⑤カルヴァン派公認
⑥帝国議会にフランス・スウェーデン代表が参加
ロシア
・ロシアは、モスクワ大公国のイヴァン3世が統一を達成した後、イヴァン4世が中央集権化を進めた。イヴァン4世の時代に、ツァーリが公的称号となり、専制君主制ツァーリズムが始まった。
・イヴァン4世はカザン=ハン国やアストラ=ハン国を併合し、コサックの族長イェルマークにシベリアを開拓させた。
・イヴァン4世の血統が途絶えると、ロシアは混乱していったが、1613年ミハイル=ロマノフが皇帝に選出されロマノフ朝を開き、1917年ロシア革命まで王朝は続いた。
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