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天正遣欧使節 帰国後の処遇 |
著作名:
早稲男
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キリシタン大名
宣教師の来日により普及したキリスト教ですが、大名の中にも洗礼を受ける大名がいました。代表的なのが、肥前の大村純忠と有馬晴信、豊後の大友宗麟の3名です。
彼らは宣教師の勧めで、天正遣欧使節として4名の少年(伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン)をヨーロッパに派遣しています。
天正遣欧使節
彼らが帰国したのは1590年。豊臣秀吉が全国統一を成した年です。
織田信長から豊臣秀吉、徳川幕府、1614年のキリシタン追放令へとキリスト教への風当たりは時代とともに強くなっていきます。日本が大きな変革にあった時代に、使節団は帰国後どのような処遇を受けたのでしょうか。
天正遣欧使節団の処遇
4人は帰国後、天草にあったコレジオで学び布教活動を続けます。伊東マンショはキリスト教の弾圧が厳しくなってきた1612年に死去、千々石ミゲルは棄教(理由は不明)、原マルチノは1614年のキリシタン追放令によりマカオへ、中浦ジュリアンは、キリシタン追放令が発令後も日本に留まり隠れながら布教活動を続けましたが、のちに捕まり処刑されました。
10代のときに華々しくヨーロッパに渡った彼らの人生は、時の流れに翻弄されることとなってしまったのです。
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