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論語『子曰、為政以徳(政を為すに徳を以ってす)』解説・書き下し文・口語訳
著作名: 春樹
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論語と孔子の人生

中国の思想家孔子が述べたものを弟子たちがまとめたもの、それが論語です。

孔子は、中国の春秋時代に生きた思想家で、儒教の創始者として知られています。彼は周王朝の礼制を復活させることを目指し、その中心となる「仁・義・礼・智・信」の概念を教えました。孔子の思想は、中国や東アジアの文化や道徳に大きな影響を及ぼしました。

孔子は紀元前552年に魯国に生まれ、貨物倉庫や牧場の管理などの職務を歴任しました。彼は多くの弟子を育て、その教えや行動が『論語』としてまとめられました。孔子は政治改革にも関与しましたが、失敗により亡命生活を送ることになりました。紀元前479年、孔子は74歳でこの世を去りました。

孔子は世界史上でも著名な人物であり、釈迦・キリスト・ソクラテスと並び称される四聖人の一人です。彼の名言や格言は今なお多くの人々に読まれています。論語とは、孔子とその高弟の言行をまとめた書物で、儒教の経典の一つです。論語は20篇から成り、孔子の教えや対話が簡潔な文章で紹介されています。道徳、政治、礼儀、歴史など様々なテーマについて、孔子の思想が伝えられ、人間として守るべき道や行うべきことが示されています。

論語は古代中国の書物ですが、その影響は広範囲に及びました。日本には3世紀頃、百済から伝えられたとされ、儒学や朱子学の流行と共に重要視されました。論語には多くの名言や格言が含まれており、人生の悩みの解決や指針となることもあります。論語の編纂者は複数の人々によって行われました。

論語の成立に関しては複数の説がありますが、一般的には以下の過程を経たとされます。

孔子の弟子たちは彼の言葉を記憶していた。
孔子の死後、一門の人々は彼の言葉を集め、論議した後に編纂しました。
漢代には魯・斉・古という三つのテキストが存在しました。
前漢の張禹が魯・斉のテキストを校正し、後漢の鄭玄がそれらを統一し、注釈を加えました。
三国時代に何晏らが先人の解釈を引用して『論語集解』を作成し、これが現在まで完全な形で残る最古の注釈となりました。
以上が論語の成立と作者に関する概要です。論語は古代中国の書物でありながら、その影響は広く、日本でも受け継がれ、儒学や朱子学の時代において重要な位置を占めました。

ここでは、論語の第2章「為政第二」の第1、「政を為すに徳を以ってす」の解説をしています。



論語『子曰、為政以徳(政を為すに徳を以ってす)』解説・書き下し文・口語訳

白文(原文)

子曰、為以徳、譬如北辰居其所、衆星共之。


書き下し文

子曰く、「政(まつりごと)を為すは徳を以ってす。譬(たと)えば北辰の其の所に居りて、衆星の之を共(むか)ふが如し。」と


口語訳(現代語訳)

先生はおっしゃいました。「徳を用いて政治を行うとする。それは、北極星を中心としてその周りを星がめぐるようなものである。」と。





「まつりごと」。政治のこと。

北辰

北極星


置き字の1つ。読まずに、「~て」や「~だけれども」のように接続を表します。
やっかいなのは、順接と逆接、どちらの場合でも使われるという点です。見分け方は、文脈から判断するしかありません。

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