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17_80 原始・古代の社会・文化と東アジア / 飛鳥時代・奈良時代

大化の改新の流れとその内容(乙巳の変~改新の詔)

著者名: 早稲男
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はじめに

645年の起こった大化の改新ですが、よく、蘇我氏を滅ぼした事件を大化の改新として捉えている方がいらっしゃいます。
しかし本当の大化の改新とは、蘇我氏を滅ぼしたあとに行った政策を含めた一連の流れのことを指します。

その内容についてみていきましょう。
乙巳の変

中大兄皇子中臣鎌足が共謀をして、当時権力を欲しいままにしていた蘇我蝦夷蘇我入鹿親子を滅ぼした事件です。
きっかけは聖徳太子の死後、蘇我入鹿が天皇の後継者問題に乗じて山背大兄皇子を滅ぼしたことでした。

改新の詔

蘇我氏を滅ぼしたあと、中大兄皇子らは孝徳天皇を擁立し、朝廷の改革に乗り出します。

【年号を定める】

歴史上初めて大化という年号を定めました。
現在でいう平成、昭和、大正といったものです。

【公地公民の制】

すべての土地は天皇に帰属するとして私有地の所持を禁止しました。これによって天皇中心であることを世の中に知らしめたと言えます。

【班田収授の法】

公地公民の制で集めた土地を、農民に均等に貸し出しを行いました。農民は、ただで土地を貸して貰える一方で、土地の広さに乗じて年貢を治めなければいけないという法律です。
与えられた土地を口分田といい、6歳以上の男子には二反、女子にはその3分の2が貸し与えられていました。

農民が年貢を治めるという概念は、今後江戸時代まで続く基になりました。

【租庸調制】

租【米】とは別に、庸【労働】、調【地方の特産品】を税として治めるという制度です。

【国郡里制】

地方を国、群、里にわけてそれぞれに管理をする役人を任命して派遣しました。中央集権型国家の誕生です。


よく勘違いをされることがあるのですが、大化の改新とは蘇我氏を滅ぼし、その後の一連の改革を含めたものを指します。
蘇我氏を滅ぼした事件単体をさすのであれば「乙巳の変」と言います。

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『流れがわかる日本史B』 ノート 山川出版
『日本史用語集』 山川出版 

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