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17_80 両世界大戦期の日本と世界 / 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争

【ミッドウェー海戦、沖縄戦、原爆投下、ポツダム宣言受諾と日本の敗戦】 受験日本史まとめ 78

著者名: Cogito
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戦局の悪化

緒戦で勝利を続けていた日本軍は、その後アメリカの反攻により、各地で苦戦していきました。1942年(昭和17年)6月、日本海軍がミッドウェー島攻略作戦時に起きたミッドウェー海戦でアメリカ機動部隊に大敗北し、「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」など主力空母を含む多くの損害を出しました。ミッドウェー海戦の敗北により、日本の制海権・制空権は失われましたが、日本軍は敗北を隠し勝利のごとく発表し、新聞は「大勝利」と発表しました。こうして日本国民は真相を知らされず、戦局は急速に敗勢となっていきました。1943年(昭和18年)2月には、日本陸軍部隊がガダルカナル島の戦いでアメリカ軍と交戦し、多くの犠牲者を出した末に撤退しました。また、同年5月には、アリューシャン列島のアッツ島守備隊がアメリカ軍の攻撃で全滅しました。

同時期、ヨーロッパ戦線でも枢軸国に不利な戦況となっていきました。1943年(昭和18年)2月、30万のドイツ軍がロシア軍とのスターリングラードの戦いでほとんど全滅し、西部戦線で連合軍が全面的な反攻に出て、同年7月イタリアのムッソリーニ政権が倒れ、9月にはイタリアは連合国に降伏しました。

その後、1944年(昭和19年)6月にマリアナ沖海戦で日本海軍はほぼ壊滅し、制海権・制空権を失いました。1944年(昭和19年)7月には、サイパン島がアメリカ軍に占領され、絶対国防圏が脅かされるようになりました。国内では、海軍や重臣の間で東條内閣に反発する動きが起き、同年7月に東條内閣が倒れました。連合軍は1943年(昭和18年)11月に、アメリカ大統領ローズヴェルト・イギリス首相チャーチル・中国国民党政府総統蒋介石カイロ宣言を出し、日本の無条件降伏まで戦い抜くことを宣言しました。

東條内閣のあと、陸軍大将小磯国昭が海軍大将米内光政と協力し内閣を作りましたが、1944年(昭和19年)10月にアメリカ軍がフィリピンのレイテ島に上陸し、日本軍の劣勢は変わりませんでした。日本軍は、各戦場で神風特別攻撃隊(特攻隊)など体当たり攻撃も行いましたが、戦局を挽回することはできませんでした。本土空襲が現実化しはじめると、1944年(昭和19年)8月ころから、学童疎開がはじまり、大都市部の国民学校の生徒は強制的に地方へ疎開させられました。

1944年(昭和19年)末ころから本土空襲がはじまり、東京を始めとする全国諸都市は廃墟となっていきました。特に首都東京は1945年(昭和20年)3月9日夜半から翌日の早朝にかけて、焼夷弾による無差別爆撃を受け、江東地区は全焼し、約10万人の死者がでました。海上補給路も断たれ工業・農業生産は壊滅的となり、軍事インフレに伴い経済が崩壊し、深刻な食糧難となりました。政府・軍部はそれでも”聖戦完遂”を求め、ジャーナリズムも”必勝の信念”を紙面に書きましたが、国民の戦意は衰え、厭戦気分がおこりました。
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『詳説日本史』 山川出版社
『日本史用語集』 山川出版社

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