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17_80 近代日本の形成とアジア / 開国・明治維新

【身分制度改革、地租改正、富国強兵策、殖産興業政策】 受験日本史まとめ 54

著者名: Cogito
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身分制度改革

中央集権化を進める中、明治政府は身分制度改革にも着手しました。版籍奉還により藩主と藩士の主従関係が解消されたため、封建的身分制度を改め、大名・上層公家を華族、一般武士を士族、農工商などの庶民を平民に改めました。1871年(明治4年)には解放令を布告し、えた・非人の呼称を廃止し、身分・職業をすべて平民と同じにしました。また、四民平等の観点から平民が苗字をつけること、平民と華族・士族との結婚や職業選択・移転・居住の自由が認められるようになりました。一方で旧来の差別された人々への対応は十分とはいえず、皮革業など彼等の職業が自由化され、納税・兵役・教育などの負担が増え、生活が以前よりも苦しくなった現実もありました。

特権階級だった武士は、身分制度改革後も俸禄(秩禄)が支給されていました。秩禄は廃藩置県後も490万石もあり、国家財政の30%近い負担があった政府は、秩禄処分に取りかかり、1873年(明治6年)に秩禄奉還の法を定め、1875年(明治8年)には、現米で支給していた俸禄を貨幣で支給するようになり(金録)、さらに1876年(明治9年)には金禄公債条例を制定後家禄制度を全廃し、金禄公債証書を交付して翌年から俸禄支給を打ち切りました。

また、同時期に明治政府は廃刀令を実施し、武士の身分的特権の象徴であった帯刀を禁止しました。こうして、長きに渡って続いた封建家臣団は解体され、一部の武士たち官吏・教師・新聞記者など新しい職業に就くようになりました。しかし、多くの武士たちは「武士の商法」で事業が失敗し、士族の間で新政府に対し不満を抱く者も多かったと言われています。明治政府は士族の救済として開墾・移住奨励、官有地廉価下げ、資金貸付など、士族授産に力を注ぎました。

地租改正

明治政府は、近代化のための財源や戦費を調達するため、太政官札など不換紙幣の発行や豪商からの借入金を頼っていました。廃藩置県後、税の徴収権は政府が手に入れましたが、旧幕府藩時代から続く年貢は、米で納めることが主流だったため、米相場の影響を常に受け、歳入は不安定な状況が続いていました。政府は近代的な土地・租税制度を確立するため、株仲間解体による売買の自由許可、一般農民に対する米販売の許可、関所廃止、田畑勝手作りの許可、職業の自由公認など、さまざまな制限を撤廃しました。また、土地制度改革として1872年(明治5年)に田畑永大売買禁止を許可し、地価を定め、所有者に地券を交付して土地の私有制度を確立しました。これらをもとに、1873年(明治6年)に地租改正条例を発し、地租改正に着手しました。

改正内容は、次の通りです。
(1)これまでの収穫高標準から地価を課税標準に。(2)税率は地価の100分の3とし、原則として豊作・凶作によって増減しない。(3)現物納入から貨幣納入へ。(4)地租負担者は地券を交付された土地所有者とすることなど。

地租改正事業は、1880年(明治13年)ごろまで数年間かけて行われました。その過程で、1876年(明治9年)に茨城・三重・岐阜などの諸県で大規模な農民一揆がおこり、士族反乱と繋がる恐れがあるとした大久保利通の意見により、1877年(明治10年)には租税が100分の2.5に引き下げられました。この結果、江戸時代の旧貢租額から、およそ20%の減額となり、農民の生活はゆとりが生まれました。地租改正により安定財源を確保した政府は、旧領主ではなく、地主や農民の土地所有を認め、近代的土地所有制度を確立しました。
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『詳説日本史』 山川出版社
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