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【大塩平八郎の乱、天保の改革、雄藩のおこり】 受験日本史まとめ 48
著作名: Cogito
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雄藩のおこり

19世紀に入ると、問屋制家内工業が発展し、奉公人を集めて分業と協業の手工業生産がはじまりました。これをマニュファクチュア(工場制手工業)といい、伊丹・池田・灘の酒造業、京都西陣、尾張の綿織物業、北関東の桐生・足利の綿織物などがこの形態をとるようになりました。農村復興では小田原藩・下総・常陸・日光などで行われた二宮尊徳の報徳仕法や大原幽学の性学など封建制再生の試みが行われましたが、あまり効果はありませんでした。一方藩によって藩営専売制や藩営工場の設立などがありました。薩摩藩では調所広郷が改革に成功し、島津斉彬(1809~58)の代には1856年(安政3年)に反射炉を築造し、様式工場の集成館を建てました。島津忠義(1840~97)は日本初の洋式紡績工場を建設し、長崎の英国貿易商グラヴァーから西洋兵器を購入しました。長州(萩)藩では、村田清風が下関に越荷方を設け藩財政再建に成功し、この藩も西洋兵器を購入しました。佐賀藩では藩主鍋島直正(1814~71)が均田制を実施しました。陶磁器の専売をすすめ、日本初の反射炉を築造し、大砲製造所を設けました。土佐(高知)藩では「おこぜ組」という改革派が登用され、藩主山内豊信(1827~72)の代に大砲鋳造など軍事力強化に乗り出しました。水戸藩では藩主徳川斉昭(1800~60)の藩政改革が進められましたが、藩内抗争により失敗しました。伊達宗城の宇和島藩や松平慶永(春嶽)の福井藩も藩権力を強化しました。こうした藩は雄藩として、幕末かけて非常に大きな影響力を持つようになりました。幕府も幕末期に反射炉を築造し、フランス式の横須賀製鉄所を建設しました。こうした雄藩や幕府の西式工業は、のちの明治維新後に官営工業の模範となりました。

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