新規登録 ログイン

17_80 原始・古代の社会・文化と東アジア / 飛鳥時代・奈良時代

【大化の改新、中大兄皇子・中臣鎌足の活躍、乙巳の変】 受験日本史まとめ 9

著者名: Cogito
Text_level_2
マイリストに追加
大化の改新

中国の王朝交代と朝鮮半島

中国大陸では、618年にが滅び、代わりに(618〜907)が成立しました。唐は統一王朝として中国を支配し、皇帝太宗(598〜649)の時代には貞観の治と呼ばれる極めて安定した国家運営が行われ、最盛期を迎えることになります。

朝鮮半島では、百済、高句麗、新羅の争いが続いており、東アジアの国際情勢は緊迫していました。

乙巳の変

倭国では、蘇我馬子ののち蘇我蝦夷(えみし)が大臣に任命され権力を握っていました。その後、皇極天皇の時代になると、息子の蘇我入鹿の権力は父蘇我蝦夷を凌ぐほどのものになっていきました。蘇我入鹿は、手にした権力を背景に、643年に聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)の一族を滅ぼしました。

国内で蘇我一族に権力が集中する中、唐には様々な留学生・留学僧が派遣されていました。彼らは唐の律令体制を目の当たりにし、帰国後中央集権化の必要性を説きました。

こうした中国の政治思想に影響を受けた中大兄皇子中臣鎌足の二人は、645年(皇極4年)に蘇我入鹿を誅殺します。翌日、蘇我蝦夷も自殺し、蘇我家総本家は滅びました。これを乙巳の変といいます。

このあと、一連の改革が行われ、これを大化の改新といいます、皇極天皇は退位し、弟の孝徳天皇に譲位し、新たな政治政権ができました。(中大兄皇子は舒明天皇の第2皇子。母は皇極天皇(重祚して斉明天皇))

豪族の代表として、左大臣に阿倍内麻呂、右大臣に蘇我倉山田石川麻呂が任命され、中臣鎌足は内臣に、僧高向玄理が国博士に就任しました。

また、新たに大化という年号が制定されました。

大化とは、天子の徳を人民におよぼすことという意味です。


1ページへ戻る
前のページを読む
1/2
次のページを読む

Tunagari_title
・【大化の改新、中大兄皇子・中臣鎌足の活躍、乙巳の変】 受験日本史まとめ 9

Related_title
もっと見る 


Keyword_title

Reference_title
『日本史用語集』 山川出版社
『詳説日本史』 山川出版社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 2,011 pt 
 役に立った数 2 pt 
 う〜ん数 0 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。