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18_80 米ソ冷戦と第三勢力 / 米・ソ両大国の動揺と国際経済の危機

冷戦期のアメリカ・ソ連(ケネディ暗殺、公民権運動、プラハの春など) 受験対策問題 110

著者名: レキシントン
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冷戦期のアメリカ・ソ連で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

アメリカの状況

・アメリカでは、第35代大統領にケネディが当選し、経済成長・教育改革などからなるニューフロンティア政策をすすめた。

・1962年にキューバ危機が起こると、ケネディ政権はこれに断固拒否したため、ソ連が譲歩し危機は回避された。この反省から、米ソ両国は直通(ホットライン)協定を結び、緊急事態時に協議を行えるようにした。

・1963年、核戦争の危機が高まる中、地下実験をのぞく大気圏・水中・宇宙空間での核実験を禁止した部分的核実験停止条約が結ばれた。しかし、これはアメリカ・イギリス・ソ連の核独裁体制を維持する目的もあったため、中国やフランスは反発し参加しなかった。

・1963年11月、ケネディ大統領がダラスの遊説中に暗殺され、副大統領からジョンソンが大統領に昇格し、翌年の選挙で当選した。ジョンソンは「偉大な社会」計画を発表し、差別と貧困の撲滅を目指した。

・同時期、アメリカでは南北戦争以後も続いていた黒人差別に対し、公民権運動(黒人解放運動)が活発になった。1964年には、政府により公民権法が制定されたが、現実には差別が残っていたため、キング牧師を指導者として公民権運動は続けられた。キング牧師は、1968年の貧者の行進中に暗殺された。

・1965年2月にアメリカは北爆を開始し、ベトナム戦争に介入した。これ以降、アメリカ軍とベトナム軍の犠牲者は増え続けたため、公民権運動とも結びつきベトナム反戦運動が世界的に広まった。

・アメリカでは、1958年以来赤字が拡大し、ベトナム戦争の介入により膨大な軍事支出が生じたことから、財政危機に瀕していた。ジョンソンの後、37代大統領に就任したニクソンは、1971年に突如、金とドルの交換停止を発表した。これをニクソン=ショックという。これによりドル危機(ドル=ショック)がおこり、1973年までドルの価値は下落し続け、その後世界各国は変動相場制に移行した。

・ニクソン政権下では、キッシンジャーが補佐官となり、外交手腕を発揮した。ニクソンは1972年に中国を訪問し、米中共同声明を発表、事実上中国を承認した。また、1973年にはベトナム戦争からアメリカ軍を撤退させた。しかし、1972年に政敵に対する盗聴事件(ウォーターゲート事件)が起こり、1974年にニクソンは辞任した。

ソヴィエト連邦の状況

・1964年、ソヴィエトの指導者フルシチョフが、農業面や個人的専断を理由に中央委員会幹部会で解任された。この解任の中心人物だったブレジネフは、その後ソ連共産党第一書記に就任し、1977年には最高会議幹部会議長を兼任し、強大な権力を握った。ブレジネフ政権では、コスイギンが首相となり、これを補佐した。

・1961年、東ドイツ政府がベルリンの壁を構築し、東ドイツ国民の亡命を阻止した。

・1955年、ソ連がユーゴスラヴィアと和解すると、対立していたアルバニアはソ連と距離を置くようになり、中ソ対立でも中国側に立つようになった。1961年には、アルバニアはソ連と断交した。

・ルーマニアでも、チャウセスクが実権を握ると、ソ連批判を始め、西側との距離を縮める独自外交をとった。

・チェコスロヴァキアでは、ドプチェクの指導により1968年に「プラハの春」という民主化運動が起こったが、ソ連と東欧5カ国の軍事介入によって弾圧された。この軍事介入を正当化するため、ソ連はブレジネフ=ドクトリンという外交方針を示し、社会主義圏から逃れようとする社会主義国家への内政干渉権をもつとした。

・ポーランドでは1970年に生活必需品が値上がりし、これに反発した労働者らが反政府運動をおこした。反政府運動は治安部隊により鎮圧されたが、その後ゴムウカ政権は崩壊した。

国際経済体制と戦後政治の行き詰まり

・ニクソン政権によるドルと金の交換停止以降(1971年8月)、ドル=ショックが進み、基軸通貨ドルの価値は急激に下落していった。1973年までに、主要各国が変動相場制に移行したことで、戦後の国際経済体制のブレトン=ウッズ体制は崩壊した。

・中東では、1960年設立の石油輸出国機構(OPEC)や、1968年設立のアラブ石油輸出国機構(OAPEC)などの協議機関があったが、1973年にエジプト・シリア両軍がイスラエルに侵攻し、ゴラン高原で交戦した第4次中東戦争が起こり、戦争中にアラブ石油輸出国機構(OAPEC)石油戦略を発動した。この戦争はイスラエルが勝利したが、OAPECの石油戦略により石油の禁輸・減産・価格引き上げなどが起こり、第1次石油危機(オイルショック)が世界中で起こった。

・第1次石油危機により、世界中で経済停滞とインフレーションがおこった。これをスタグフレーションという。また、1978年にイラン=イスラーム革命が引き金となり原油価格が高騰し、第2次石油危機が起こった。

・資源の重要性が国際的に認識される中、1974年に国連資源特別総会が開かれ、新国際経済秩序宣言(NIEO)が採択された。北の先進国に有利に利用されていた天然資源を発展途上国自らの発展につなげていこうという資源ナショナリズムの考えが生まれた。
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・冷戦期のアメリカ・ソ連(ケネディ暗殺、公民権運動、プラハの春など) 受験対策問題 110


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『世界史B 用語集』 山川出版社
『世界史B 教科書』 山川出版社

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