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18_80 米ソ冷戦と第三勢力 / 東西対立の始まりとアジア諸地域の自立

ヨーロッパの東西分断(鉄のカーテン、東西ドイツの成立など) 受験対策問題 105

著者名: レキシントン
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ヨーロッパの東西分断で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

イギリスの状況

・1945年の総選挙で首相となったアトリーは、労働党内閣を組織し、「ゆりかごから墓場まで」という福祉社会制度の充実を目指した。また国内ではイングランド銀行や石炭産業などの重要産業を国有化した。

・1951年になると、第二次世界大戦中に挙国一致内閣で活躍したチャーチルが総選挙で勝利し、保守党による第二次チャーチル内閣が成立した。この内閣で外相を務めたイーデンは、チャーチルのあとを受け首相となったが、1956年にスエズ動乱(第2次中東戦争)を招いた責任をとり退陣した。

・第二次世界大戦中のエールは中立を守りぬき、戦後の1949年にイギリス連邦から脱退しアイルランド共和国に改称した。

フランスの状況

・フランスでは、ド=ゴールの亡命先ロンドンで成立していた自由フランス政府が1944年に改組され、フランス臨時政府が成立した。1946年には、第四共和政がはじまり、第四共和国憲法が制定され、人権宣言の再確認・男女完全平等・基本的人権の保障・専制排除が定められ、議院内閣制がとられた。

・1920年に成立したフランス共産党は、大戦中レジスタンス運動の中核を担った。この政党は単独政権にはなれなかったものの、第一党として幾度か政権に参加した。1948年以降は野党となった。

イタリアの状況

・1946年の国民投票の結果、イタリアでは王政が廃止され、以後共和制となった。以後イタリア共産党・イタリア社会党・キリスト教民主党などが政治を動かした。

東欧の状況

・第二次世界大戦後の東ヨーロッパでは、各地で人民民主主義が成立し、ポーランド(1945年)・ハンガリー(1949年)・ルーマニア(1947年)・ブルガリア(1946年)・アルバニア(1946年)ユーゴスラヴィア(1945年)など様々な社会主義国が誕生した。

・ユーゴスラヴィアでは、大戦中ドイツに抵抗した指導者ティトーがスターリン支配を拒否し、1948年コミンフォルムから除名された。以後ユーゴスラヴィアは西側に接近し、独自の社会主義建設と中立外交をとるようになった。

冷戦のはじまり

・第二次世界大戦末期から戦後にかけて、アメリカとソ連の直接的な軍事衝突がない「冷たい戦争」(冷戦)がはじまった。

・1946年にイギリスの首相チャーチルは、ソ連がバルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで「鉄のカーテン」をおろしているとし、東側の勢力拡大を非難した。

・ソ連の勢力拡大に対し、アメリカのトルーマン大統領は封じ込め政策を行い、反共諸国に対する軍事・経済的援助を進めた。この政策には、ギリシア・トルコに援助を行い、共産化を阻止するとしたトルーマン=ドクトリン、アメリカの援助によるヨーロッパ復興計画のマーシャル=プラン北大西洋条約機構(NATO)の創設などが挙げられる。

・1948年、マーシャル=プランを受け入れる西欧16カ国は、ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を結成し、これがのちの経済協力開発機構(OECD)に発展した。戦後から1960年代までの時代を「アメリカの平和」といい、アメリカは長らく資本主義世界の主導権を握った。

・一方、共産主義陣営でもマーシャル=プランに対抗しコミンフォルム(共産党情報局)が組織され、最終的にソ連・フランス・イタリア・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・ポーランド・チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア(48年除名)・東ドイツが加盟した。

・1949年には、コメコン(東欧経済相互援助会議)が成立し、ソ連・ユーゴスラヴィアを除いた東欧7カ国とモンゴル共和国が加盟した。62年にアルバニア脱退、72年キューバ、78年ベトナムが加盟した。

・1948年、チェコスロヴァキアでクーデターがおこり(チェコ革命)、マーシャル=プランの受け入れをの可否が問われたが、最終的に共産党政権が樹立された。この事件に対し、西側は西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)をむすび、これは後にNATOの発展した。

・1948年6月、アメリカ・イギリス・フランスはドイツの西側管理地区通貨改革をソ連に無断で行ったため、これに反発したソ連がベルリン封鎖を行った。ベルリン封鎖に対し、西側3国は大空輸作戦で西ベルリンへ物資を届けた。

ドイツの復興

・連合国に占領されたドイツでは、1949年5月にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立し、10月にはドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し東西に分断された。

ボンを首都とした西ドイツでは、キリスト教民主同盟アデナウアーが首相となり、急速に経済復興を遂げた。1954年のパリ協定で西ドイツの主権が回復し、NATO加盟や再軍備が認められ、その後西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)へも加盟した。1955年には、ソ連と国交を回復した。

ベルリンを首都とした東ドイツでは、社会主義統一党(SED)が一党独裁体制を成立させ、政権を独占した。1955年、オーストリア国家条約がイギリス・アメリカ・フランス・ソ連の間で調印され、4カ国共同管理の解消とオーストリアが永世中立国として独立した。

・1955年5月には、東側の軍事同盟としてワルシャワ条約機構(東欧8カ国有効相互援助条約)が調印された。加盟国は、ソ連・ポーランド・東ドイツ・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアであった。
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・ヨーロッパの東西分断(鉄のカーテン、東西ドイツの成立など) 受験対策問題 105

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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