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18_80 二つの大戦と世界 / 第一次世界大戦とロシア革命

第一次世界大戦のきっかけと終わり(サライェヴォ事件、秘密外交、総力戦など) 受験対策問題 93

著者名: レキシントン
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第一次世界大戦のきっかけと終わりで押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

第一次世界大戦のはじまり

1914年6月28日オーストリア帝国の皇位継承者フランツ=フェルディナント夫妻は、陸軍による大演習視察のため、ボスニアの州都サライェヴォを訪れていた。フランツ=フェルディナントはオーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフの甥である。パン=スラヴ主義の黒い手という組織に所属したセルビアの学生プリンチップは、フランツ=フェルディナント夫妻を暗殺した。このサライェヴォ事件を受け、1914年7月28日、オーストリアはセルビアに対し宣戦布告した。

・オーストリアの宣戦布告を受け、ロシアはパン=スラヴ主義に基づきセルビア側に付き、総動員令を発令した。また、ドイツはシュリーフェン作戦によるフランスの短期的攻略を目指し、ベルギーに侵入した。これを受け、イギリスも参戦した。サライェヴォ事件をきっかけとし、最終的に連合国(協商国)同盟国にわかれ、第一次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)がはじまった。

連合国

イギリス・フランス・ロシア・セルビア・モンテネグロ・日本・イタリア(1915年参戦)・ルーマニア(1916年参戦)アメリカ・中国(1917年参戦)など計27カ国

同盟国

ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア(1915年参戦)

・アジアでは、日英同盟をもとに日本が参戦し、ドイツ勢力範囲の南洋諸島膠州湾青島を占領した。また、列強がヨーロッパに軍備を集中する中、1915年には中国の[red袁世凱]政権に対し、東北地方・内モンゴル・華北などを日本の隷属とする内容の二十一カ条要求を提出し、反日機運が激化した。この他にも、1917年に日本の既得権益とアメリカの中国への機会均等を相互に認める石井・ランシング協定も結ばれた。

欧州戦線の状況

・ヨーロッパでは、ドイツ・オーストリアとロシアが戦った東部戦線、フランスと戦った西部戦線で激戦が繰り広げられた。

・東部戦線では、1914年8月29日ドイツの将軍ヒンデンブルクが現在のポーランドでおこったタンネンベルクの戦いで勝利し、ロシア勢力を一掃した。

・西部戦線では、フランス軍の抵抗が激しく、1914年9月のマルヌの戦いでドイツ軍の進撃が止まった。短期決戦を目指したドイツのシュリーフェン作戦は頓挫し、戦いは長期戦となっていった。

・1915年5月には、イギリス客船ルシタニア号がドイツ海軍の潜水艦によって撃沈され、100名を超えるアメリカ人乗客が犠牲となった。これ以降、アメリカの対ドイツ世論は厳しくなっていった。

・西部戦線のヴェルダンでは、1916年2〜12月にかけて、ドイツ軍とフランス軍の戦闘がおこり、ヴェルダンは西部戦線の激戦地となった。

・1916年のソンムの戦いでは、イギリス軍が初めて戦車を投入した。また、断続的に行われたイープルの戦いでは、1915年にドイツ軍が初めて毒ガスを使用した。

・第一次世界大戦が長期化した理由として、塹壕戦戦車・毒ガス・潜水艦・飛行機・機関銃などの新兵器の登場が挙げられる。戦争が長期化する中、第一次世界大戦は各国の全国民を巻き込む総力戦となっていった。

・1917年2月、ドイツ海軍は交戦水域にはいった船舶を国籍問わずに無警告・無差別に撃沈するという無制限潜水艦作戦を開始した。これをうけ、ルシタニア号事件以降激化する対独世論と英仏の敗北により対米負債の支払いが困難になるという理由から、1917年4月6日アメリカ合衆国が連合国側にたって参戦した。

・こうした中、1916年に成立したイギリスのロイド=ジョージ内閣や、1917年に成立したフランスのクレマンソー内閣など諸政党が結束して政府を支持する挙国一致体制がとられた。一方ドイツでは、1917年にドイツ独立社会民主党が成立し、労働者のストライキとともに戦争継続を困難にしていった。

秘密外交

・大戦が長期化する中、各国は様々な秘密外交を行い、自国を有利にしようとした。

・1915年4月、当初中立を表明したイタリアに対し、イギリス・フランス・ロシアが戦後「未回収のイタリア」の一部を割譲するというロンドン秘密条約を結んだ。これによりイタリアは三国同盟を離脱し、1915年5月オーストリアに宣戦した。

・1915年10月、イギリスは、エジプトに駐在していた高等弁務官マクマホンを通じ、アラブの指導者フサイン(フセイン)に戦争協力と引き換えにアラブ人居住区の独立と独立を認めるというフサイン(フセイン)・マクマホン協定(書簡)を結んだ。この協定により、アラブ勢力はオスマン帝国との戦争を開始した。

・1916年5月、イギリス・フランス・ロシアサイクス・ピコ協定を締結し、戦後のオスマン帝国領の分割やパレスチナ地域の国際管理などを決めた。しかし、この協定は前年のフサイン・マクマホン協定の内容と矛盾していた。

・1917年11月、戦争継続のためにユダヤ系金融資本を必要としたイギリス政府は、外相バルフォアがパレスチナにおけるユダヤ人の民族的郷土の設立を約束したバルフォア宣言を出した。フサイン・マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言はそれぞれ矛盾した内容であり、今日まで続くパレスチナ問題の原因となっている。

・イギリスはこの他にも、1917年にインド自治の約束と引き換えに多数のインド兵を戦争に派遣し、40万人以上のインド兵戦死者を出したが、戦後イギリスはこの約束を守らなかった。

第一次世界大戦の終結

・1918年9月29日、ブルガリアが無条件降伏した。同年10月18日にはオスマン帝国、同年11月3日にはオーストリアが降伏した。

・1918年11月3日、ドイツのキール軍港で水兵の反乱が起き、ドイツ革命がはじまった。1918年11月9日ドイツ皇帝が退位し、翌11月10日にドイツ共和国が成立した。

1918年11月11日、ドイツの臨時政府代表はパリ北東のコンピエーニュの森ドイツ休戦条約を調印し、第一次世界大戦が終結した。

・1918年1月、アメリカ大統領ウィルソン十四カ条の平和原則を発表した。この平和原則は、秘密外交の廃止・海洋の自由・関税障壁の撤廃・軍備縮小・植民地問題の公正な解決・民族自決・国際平和機構の設立などが主な内容であった。

・大戦中革命によって成立したロシアのソヴィエト政府1918年3月3日にドイツとブレスト=リトフスク条約を単独で結び、戦争から脱退した。
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・第一次世界大戦のきっかけと終わり(サライェヴォ事件、秘密外交、総力戦など) 受験対策問題 93

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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