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18_80 帝国主義と世界の変容 / 帝国主義と列強の展開

欧米各国の帝国主義(独占資本、ドレフュス事件、ロシア革命、米西戦争など) 受験対策問題 85

著者名: レキシントン
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欧米各国の帝国主義で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

帝国主義の成立

・19世紀末(1870〜1890年頃)以降第一次世界大戦まで、欧米列強が各国の勢力圏を広げ、世界を分割していった帝国主義が進められた。帝国主義が進んだ背景には、(1)原料供給地・製品販売の市場としてだけではなく、余剰資本の投資先として植民地の重要性が高まった。(2)労働運動や社会主義運動の激化により、社会政策の必要性に迫られた各国政府が、その資金獲得のために植民地の拡大を目指した。この2つの説がある。

・帝国主義がすすむ一因になったのが第2次産業革命と言われる電力・石油を新動力源とする重化学工業の発展である。企業は次第に巨大化し、カルテル・トラスト・コンツェルン・シンジケートなどの形態をとり、集中や独占が進み、大企業が市場を支配した。ビスマルクの保護を受けたドイツの兵器生産企業クルップなどはその代表で、ドイツ最大のコンツェルンを形成した。

・少数の大企業群は独占資本と言われ、国内では保護関税に守られ、対外的には国家権力と結んで資本輸出を行い莫大な利益をあげた。産業資本と銀行資本が結合した独占資本を金融資本といい、相互に株式を持ち合い、巨大化していった。

イギリス

・イギリスは19世紀以降、金融面で世界を支配し、「世界の銀行」と言われた。ロンドンのシティはイギリスの金融機関が集中し、今日でも世界の金融の中心となっている。

1875年、イギリスは財政難に陥ったエジプトからスエズ運河の株式(全体の44.4%)を買い取り、スエズ運河の経営に大きな影響力を持つようになった。この際首相ディズレーリはロンドンのユダヤ系金融資本家ロスチャイルドから資金を調達した。

・広大な植民地を持っていたイギリスは、度々イギリス植民地会議イギリス帝国会議を開催し、本国と植民地の結びつきを強固にした。

・国内では、1884年にバーナード=ショーら知識人によりフェビアン協会が結成され、ウェッブ夫妻がこれを指導した。1900年には、独立労働党・フェビアン協会・社会民主連盟と65の労働組合の代表らが労働代表委員会を結成し、その後1906年に総選挙で29議席を獲得し、労働党が誕生した。

・当時の政権はさまざまな政策を行い、国民保険法(1911)、議会法(1911)が定められ、そのほかにもアイルランド自治法などが提案された。アイルランド自治法に反対し自由党を離党したジョゼフ=チェンバレンは自由統一党を設立し、植民相として南アフリカ戦争など帝国主義政策を進めた。

・アイルランドではイギリス支配に反対した人々によりシン=フェイン党が結成され、1916年には急進派が独立を目指したイースター蜂起をおこした。

フランス

・フランスでは、普仏戦争中にナポレオン3世が退位し、第二帝政が崩壊、その後第三共和政(1870〜1940)が成立した。1875年には第三共和政憲法が制定され、三権分立・二院制・任期七年の大統領制が定められた。1887年から1889年にかけて、元陸相ブーランジェがブーランジェ事件をおこし、クーデターを企てたが失敗した。

・対外的には、ドイツ・オーストリア・イタリア三国同盟に対抗して露仏同盟(1891〜1894)が成立し、フランスの国際的孤立が解消された。

・国内では反ユダヤ主義に基づくドレフュス事件(1894〜1899)が起こり、作家のゾラが軍部の反ユダヤ主義を批判した。この事件に衝撃をうけたユダヤ人ジャーナリストのヘルツルがユダヤ人国家をパレスチナにつくろうとシオニズム運動を始めた。

1904年には英仏協商が結成され、ドイツの帝国主義に対抗するようになった。1905年には、フランス社会党(統一社会党)が結成され、カトリック教会の政治介入を断つため政教分離法が成立した。

ドイツ

・ドイツでは、1890年3月、皇帝ヴィルヘルム2世との対立からビスマルクが辞職し、皇帝の親政がはじまった。ヴィルヘルム2世は海軍を拡張し、世界政策をすすめ、イギリスとの建艦競争が始まった。

・ビスマルクの辞職により、社会主義者鎮圧法が廃止され、ドイツ社会主義労働者党が改称し、ドイツ社会民主党が成立した。この時代、社会主義者ヘーベル・ベルンシュタイン・ラサールなどが活躍した。

ロシア

・ロシアでは1903年に、プレハーノフレーニンによりロシア社会民主労働党が結成された。しかし、内部対立からレーニンの指導するボリシェヴィキとプレハーノフの指導するメンシェヴィキに分裂した。

・1901年末には社会革命党(エス=エル)が結成されたが、1917年の十一月革命で分裂した。

1905年にはペテルブルクで日露戦争に対する平和請願デモに対し、軍隊が発砲し多数の死者を出した血の日曜日事件が発生し、第1次ロシア革命(1905年1〜9月)がおこった。同年6月のポチョムキン号の反乱をきっかけに日露戦争が終結し、10月に十月勅令(十月宣言)ニコライ2世により発布され、国会の開設や憲法制定が決まり、革命は鎮静化した。

・1905年10月にはブルジョワ政党の立憲民主党が成立し、1906年にはドゥーマという議会が開設され、制限選挙で選ばれた議員が議論をたたかわせた。

・蔵相ヴィッテは保護主義政策や外国資本の導入を行い、シベリア鉄道の建設など資本主義化をすすめた。ポーツマス会議の全権や十月宣言を起草し、のちに首相となるが、その後1906年に失脚した。ヴィッテ失脚後には、ストルイピンが首相となり、反動政治をすすめ、ミール(農村共同体)を解体した。

アメリカ

・アメリカでは1886年にアパッチ族の首長ジェロニモが降伏し、インディアンの組織的抵抗が終結し、1890フロンティアの消滅が政府によって発表された。

・経済界では、ロックフェラーカーネギーモルガンなど大実業家が現れ、独占資本を形成したが、国民の反感うけ反トラスト法が成立した。しかし、これらの法律は独占化を阻止できなかった。

・対外的には、第25代大統領マッキンリーの時代に、米西戦争ハワイ併合などの帝国主義政策が進められた。米西戦争に勝利したアメリカは、キューバ独立とその保護国化や、フィリピン・プエルトリコ・グアムを獲得した。

・この時代、国務長官ジョン=ヘイにより門戸開放宣言が出され、中国に対する門戸開放・機会均等・領土保全の3原則が提唱された。

・第26代セオドア=ローズベルトの時代には、改革主義や棍棒外交が進められた。

・第28代ウィルソンの時代には、関税引き下げや反トラスト法が制定され、対外的には宣教師外交が進められた。
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・欧米各国の帝国主義(独占資本、ドレフュス事件、ロシア革命、米西戦争など) 受験対策問題 85

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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