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18_80 世界市場の形成とアジア諸国 / オスマン帝国

オスマン帝国支配の動揺と改革(タンジマート、ミドハト憲法など) 受験対策問題 80

著者名: レキシントン
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19世紀欧米の文化で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

オスマン帝国支配の動揺

・1299年に小アジアに建国されたオスマン帝国は、1402年にティムール帝国に敗れて中断したものの、その後再興し、1453年にビザンツ帝国を滅ぼすなど強国となり、広大な領域を支配した。

・1683年にオスマン帝国軍は第2次ウィーン包囲を行ったが、ポーランドの援助を受けたオーストリア軍に敗退し、その後1699年にオーストリア・ヴェネツィア・ポーランドカルロヴィッツ条約を結び、多くの領土を割譲した。また、1774年にはキュチュク=カイナルジ条約をロシアと結び、黒海の支配権を奪われるなど、オスマン帝国の衰退がはじまった。

1798年にはナポレオン率いるフランス軍がエジプトを占領し、エジプトの人々にオスマン帝国に対する反抗を呼びかけた。これをきっかけに、オスマン帝国内でのナショナリズムが高揚し、各地の独立運動が盛んになった。

・オスマン帝国第28代スルタンのセリム3世は、帝国の衰退を止めるべく新軍隊ニザーム=ジェディットの創設など、近代化を進めたが、最終的にイェニチェリなど保守勢力に殺害された。第30代スルタンのマフムト2世は、1826年にイェニチェリ軍団を全廃し、オスマン帝国の近代化を進めた。しかし、対外的にはギリシア独立戦争やロシアの南下、ムハンマド=アリーとの戦争などに苦しんだ。

ワッハーブ王国(サウード王国)

・アラビアの宗教改革者イブン=アブドゥル=ワッハーブは、神秘主義や聖者崇拝を否定し、復古主義運動を展開した。彼は「ムハンマドの教えに戻れ」という思想をもとにワッハーブ派を開き、スンナ派に対抗した。

・ワッハーブ派は、中部アラビアを支配していた豪族サウード家の保護を受け勢力を拡大した。サウード家はその後ワッハーブ派と協力し、ワッハーブ王国(1744頃〜1818,1823〜1889)を建国した。この王国はサウード王国とも呼ばれ、イスラームの聖地メッカやメディナを占領し、アラビア半島の大部分を支配下に置いた。1818年にムハンマド=アリーに滅ぼされたがその後再興した。19世紀後半に再び滅びたが、1902年イギリスの援助のもと首都リヤドでサウード家の支配が復活し、サウジアラビア王国となった。

ムハンマド=アリー朝エジプト

・ナポレオンがエジプトに侵攻すると、オスマン帝国からエジプト総督に任命されたムハンマド=アリーは、1805年にエジプト最後の王朝ムハンマド=アリー朝を開いた。この時代、エジプトは対外的に様々な戦争をすすめ、ワッハーブ王国を滅ぼし、ギリシア独立戦争でオスマン帝国を援助した。しかしその後シリアの領有権をめぐってオスマン帝国とエジプト=トルコ戦争を起こした。

・エジプト=トルコ戦争は二度にわたって行われ、第1回はロシアがトルコ側に、イギリス・フランス・オーストラリアがエジプト側につき、最終的にエジプトにシリアの統治権を認めた。第2回はエジプトとシリアの世襲権を求めたムハンマド=アリーに対し、オスマン帝国が反対し、フランスの援助を受けたエジプトが大勝したものの、その後イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンが干渉し、ロンドン会議でエジプト総督の世襲を認める代わりに、シリアの領有権を放棄させられた。

1840年にはロンドン会議でロンドン4カ国条約が結ばれ、エジプトにシリアの領有権を放棄させた。翌年にはフランスも加わり五国海峡条約が結ばれ、ロシアがオスマン帝国と結んだウンキャル=スケレッシ条約が破棄され、外国軍艦のボスフォラス・ダーダネルス両海峡航行が禁止となった。

・エジプトはその後、レセップスによるスエズ運河開通とイギリスへの株式売却、ウラービーの反乱への対応などにより、イギリス事実上の保護国とした。また、クウェートもイギリスの保護国となった。

オスマン帝国の改革

・衰退するオスマン帝国では、第31代スルタンアブデュル=メジト1世が1839年にギュルハネ勅令を発布し、非ムスリムにも法的・経済的平等を保障した。これ以降タンジマート(恩恵改革)という諸改革が行われたが、保守派の抵抗が激しく、失敗した。

・第34代スルタンアブデュル=ハミト2世の時代には、宰相ミドハト=パシャがミドハト憲法を制定し、二院制と責任内閣制がとられた。しかしその後露土戦争の勃発により、憲法は停止された。

イラン=アフガニスタンの動向

・イランではカジャール朝があったが、1828年にロシアとトルコマンチャーイ条約を結び、列強侵略がはじまった。

・サイイド=アリー=ムハンマドにより、バーブ教が始められると、その教徒となったイラン民衆が外国勢力に対しバーブ教徒の乱をおこした。また、1891年にはタバコ=ボイコット運動もおきた。

カブールを首都としたアフガニスタン王国は、イギリスとロシアのアフガン戦争の結果、1880年にイギリスがアフガニスタンを保護国化した。

・中央アジアでは、ロシアがタシケントを省都とし、トルキスタン省を設立した。その他にも、これら地域にはブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国などが存在していた。
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・オスマン帝国支配の動揺と改革(タンジマート、ミドハト憲法など) 受験対策問題 80

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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