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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / ウィーン体制

ウィーン体制の動揺(ラテンアメリカの独立、ギリシア独立戦争など) 受験対策問題 71

著者名: レキシントン
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ウィーン体制の動揺で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

ラテンアメリカの独立運動

・ヨーロッパで盤石に見えたウィーン体制は、遠くラテンアメリカ諸国で独立運動がはじまったことによりゆらぎはじめた。

・ラテンアメリカではナポレオン戦争中より、ヨーロッパの宗主国の混乱に乗じて、独立運動が活発になった。ラテンアメリカには、植民地生まれの白人であるクリオーリョ、白人とインディオの混血であるメスティーソ、白人と黒人の混血であるムラートなどの人々がおり、それぞれの階層にわかれていたが、各階層ともに独立を望んだ。

・1780年には、トゥパク=アマル2世を名乗る人物によりトゥパク=アマルの乱がおこったが、鎮圧された。この反乱は失敗したものの、その後の独立運動に大きな影響を与えた。

・1791年、カリブ海のエスパニョラ島西部のフランス植民地でサン=ドマングの蜂起がおこった。フランス革命の影響を受けた黒人奴隷が起こしたこの蜂起は、独立運動に発展した。その後もトゥサン=ルーヴェルチュールの指導のもとナポレオン軍を撃退し、1804ハイチ共和国(世界初の黒人共和国)として独立し、1825年フランスにも承認された。

・ラテンアメリカの独立は進み、シモン=ボリバルサン=マルティンイダルゴなどの指導により、各地で新国家が誕生した。

ベネズエラ1811年独立。ミランダが独立を宣言。
ブラジル1822年に独立。
アルゼンチン1816年、サン=マルティンの指導で独立。
チリ1818年、サン=マルティンの支援をうけ独立。
コロンビア1819年、ボリバルの援助をうけ独立。
ペルー1821年、サン=マルティンの支援をうけ独立。
メキシコ1810年、イダルゴの指導で独立。
ボリビア1825年に独立。ボリバルの名を国名に取り入れた。


・こうした南米諸国の独立と誕生に対し、ウィーン体制を指導するメッテルニヒは弾圧を計画するが、アメリカとイギリスの反対にあい、失敗した。

・アメリカでは、第5代大統領モンローが1823年にモンロー宣言(教書)を打ち出した。これは、ヨーロッパ諸国のラテンアメリカ独立への干渉と、ロシアの南下政策に反対して出された声明で、ヨーロッパ諸国とアメリカ大陸諸国の相互不干渉を主張し、ウィーン体制諸国のラテンアメリカ独立干渉を排除した。

・また、自国商品の市場をもとめたイギリスも、外相カニングによりモンロー宣言が支持され、ラテンアメリカ独立を支援した。

ギリシア独立戦争

・ラテンアメリカ諸国の独立と同時期、当時オスマン帝国の支配下にあったギリシアでも独立運動がはじまった。

・19世紀はじめに、イプシランティヘタイリアという秘密結社をつくり、独立を目指した。1821年から武力闘争が始まったが、オスマン帝国はエジプトともにキオス(シオ)島の虐殺など徹底的な弾圧をおこなった。

・ヨーロッパ諸国では、知識人を中心にギリシアを支援する動きがおこった。イギリスの詩人バイロンは義勇兵として参戦し、フランスのロマン派画家ドラクロワは「シオの虐殺」を描き、独立を支持する世論を作り上げた。

・こうして、ロシア・イギリス・フランスはギリシア独立戦争を支援し、1827ナヴァリノの海戦でオスマン帝国を撃破した。1829年にロシアとオスマン帝国の間でアドリノープル条約がむすばれ、ロシアが黒海北岸を獲得し、ギリシアの独立が承認された。翌年1830年にロンドン会議が開かれ、イギリス・フランスも独立を承認し、ギリシアの完全独立が達成された。
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・ウィーン体制の動揺(ラテンアメリカの独立、ギリシア独立戦争など) 受験対策問題 71

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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