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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ中世世界の変容

十字軍と宗教騎士団(クレルモン公会議、ヨハネ・テンプル・ドイツ騎士団など) 受験対策問題 45

著者名: レキシントン
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十字軍と宗教騎士団で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

11・12世紀のヨーロッパ

・11~12世紀のヨーロッパでは、封建社会の安定化と、三圃制重量有輪犂、鉄製農具の発明や水車、解放耕地制の発達などにより、農業生産の増大と人口増加がおこった。

・こうした人口増加により、新たな耕地を開拓するための大開墾運動が起こるようになった。オランダの干拓事業や、アルプス耕地開墾、ドイツ諸侯の東方植民などが代表例である。この時代、各地で中世都市が成立し、中世世界は変容していった。

十字軍

・この時代、キリスト教の布教とともに、ヨーロッパの人々の間に聖地巡礼が流行した。特に、ローマ・サンチャゴ=デ=コンポステラ・イェルサレムは三大巡礼地として人気であった。

・同時期、東方のビザンツ帝国はセルジューク朝の建国者一族が小アジアに建てたルーム=セルジューク朝の脅威にさらされていた。小アジアやイェルサレムを占領したイスラーム勢力の拡大に伴い、ビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世は、西ヨーロッパのローマ教皇に救援を求めた。ローマ教皇ウルバヌス2世は、1054年に東西教会の大分裂がおこって以来の東西教会統合の絶好の機会と捉え、1095クレルモン公会議を招集し、翌年の1096年から十字軍が開始された。

・十字軍は第7回まで続いたが、最終的に聖地イェルサレムを奪還することはできなかった。

第1回(1096〜1099)一時的に聖地を奪還し、イェルサレム王国を建設した。
第2回(1147〜1149)ドイツ王・フランス王が中心となりアッコンへ到達したが、退却した。
第3回(1189〜1192)リチャード1世(英)、フィリップ2世(仏)、フリードリヒ1世(独)の連合軍だったが、サラディンに敗れた。
第4回(1202〜1204)教皇インノケンティウス3世が提唱。ヴェネツィアが主導権を握り、一時的にコンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国を建国した。
少年十字軍(1212)少年らが神のお告げを聞き聖地へ向かったが、途中奴隷として売られ失敗した。
第5回(1228〜1229)神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が交渉により一時的に聖地を回復した。
第6回(1248〜1254)フランス王ルイ9世がエジプトを攻撃したが失敗した。
第7回(1270)ルイ9世がチュニスを攻撃したが、王が病没し、失敗した。


・十字軍失敗の結果、教皇の権威は失墜し、遠征で犠牲が大きかった封建諸侯が衰退する一方、各国の国王の権力は高まった。また十字軍の進展により各地で交易が活発となり、地中海貿易で北イタリア諸都市が大きな利益をあげ、貨幣経済が広まり、その後封建社会の崩壊へとつながっていった。

宗教騎士団

・十字軍以降、聖地を訪れる巡礼者を守るため、騎士と修道士の役割をもった修道騎士により、宗教騎士団が結成された。

・第1回十字軍で成立したヨハネ騎士団は、イェルサレムで救護活動を行い、後にキプロス・ロードス島に拠点を移し、1520年カール5世からマルタ島の領有権を与えられ、マルタ騎士団とも呼ばれた。その後1571年におこったオスマン帝国とのレパントの海戦で活躍した。

テンプル騎士団は、1119年に設立され、のちにキリスト教信者から多くの寄進を受け富裕化し、ヨーロッパ各地に支部を持つまでに拡大した。その後フランス王フィリップ4世がその富を奪うため1312年に解散させた。

ドイツ騎士団は第3回十字軍時の1190年にアッコンに成立したが、聖地ではあまり活躍しなかった。その後、東方植民で活躍し、バルト海沿岸にドイツ騎士団領を建てた。のちのプロイセンの元となった。
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・十字軍と宗教騎士団(クレルモン公会議、ヨハネ・テンプル・ドイツ騎士団など) 受験対策問題 45

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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