新規登録 ログイン

17_80 原始・古代の社会・文化と東アジア / 平安時代

菅原道真が左遷された理由

著者名: 早稲男
Text_level_2
マイリストに追加
はじめに

学問の神様として太宰府天満宮に祀られている菅原道真ですが、もともとは御所で政治を取り仕切る右大臣でした。そういった人物がなぜ、福岡の地で学問の神様として祀られているのでしょうか。
ALT

菅原道真

そもそも菅原道真は貴族ではなく学者の身分でした。
時の宇多天皇に重用され、右大臣の位まで上り詰めます(学者の身分で右大臣にまで上り詰めたのは、奈良時代に活躍した吉備真備と菅原道真2人だけです)。

理由としては当時、摂政関白として栄えていた藤原氏を宇多天皇がよく思っていなかったこと(阿衡の紛議を調べてみてください)や、菅原道真の聡明さにひかれた等諸説あります。菅原道真も、娘を天皇の子供や皇族に嫁がせることで、朝廷での地位を築きあげていきました。

それをよく思っていなかったのは、ライバルである藤原氏です。
転機となったのは宇多田天皇が退任し、息子の醍醐天皇へと譲位したときでした。学者という身分で強いコネクションのなかった菅原道真は、最大の後ろ盾を失うことになります。

そんな矢先に、「菅原道真を『太宰権帥(だざいごんのそち)』に任命する。」という命令がくだされてしまいます。福岡への赴任の命令でしたが、当時全く栄えていなかった福岡へ赴任するということは左遷そのものを意味していました。左遷の理由としては、「醍醐天皇を引退させ、自分の娘を嫁がせた斉世親王を皇位につかせようとした」というなんともいいがかりな理由でした。

福岡に赴任してから2年後、菅原道真は京に戻ることなく、その地で一生を終えることになったのです。

Related_title
もっと見る 


Keyword_title

Reference_title
『日本史用語集』 山川出版
『詳説日本史研究』 山川出版

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 26,448 pt 
 役に立った数 38 pt 
 う〜ん数 8 pt 
 マイリスト数 29 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。