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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / ウィーン体制

ウィーン体制① ~ウィーン会議 その意義と結果~

著者名: エンリケ航海王子
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はじめに


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フランス革命からナポレオン時代にかけて、ヨーロッパは大混乱に陥りました。

この混乱を収拾するために行われたのがウィーン会議です。このテキストでは、会議の様子とその後の各国の状況を見ていきましょう。

ウィーン会議の開催

ライプチヒの戦いで敗れたナポレオンは、1814年5月にイタリア北西のエルバ島に幽閉されます。

このナポレオン戦争の戦後処理を目的に、1814年9月から1815年6月まで開かれたのが、ウィーン会議です。

会議には、各国から代表者が参加しました。

参加者国名
メッテルニヒオーストリア
タレーランフランス
カッスルレーイギリス
アレクサンドル1世ロシア
ハルデンベルクプロイセン


ウィーン会議には、当時の大国オスマン帝国は参加していませんでした。


この中でも、議長として会議の司会進行を務めた中心人物が、オーストリアの宰相メッテルニヒです。

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(メッテルニヒ)

正統主義と勢力均衡の原則

ウィーン会議では、フランスのタレーランによって「正統主義」が提唱され、これが基本原則になります。

正統主義というのは、フランス革命以前の主権と領土を正統とし、ヨーロッパを以前の状態に戻すという原則です。

タレーランは敗者ナポレオンの代表者ではなく、被害を受けたブルボン朝の代表者として会議に参加していたため、このような主張が各国に受け入れられたのです。


もう一つの原則が勢力均衡です。これは、一国のみが大国になり、その他の国々を支配しないように、各国がそれぞれ同じ位の力を持つことで、ヨーロッパの安定を目指そうというものでした。
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『教科書 世界史B』 山川出版社
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