新規登録 ログイン

9_80 文章の読み解き / 文章の読み解き

奥の細道『平泉』 わかりやすい現代語訳と解説(おくのほそ道)

著者名: 走るメロス
Text_level_1
マイリストに追加
『平泉』

このテキストでは、松尾芭蕉の書いた奥の細道の中の「平泉」の章について解説しています。

読むにあたって

この「平泉」の章では、松尾芭蕉が平泉を訪れたことを中心にストーリーが展開されます。平泉は岩手県の南部にある土地で、平安時代に、奥州藤原氏という一族が栄えました。藤原清衡、基衡、秀衡の親子3代のときに奥州藤原氏は最盛期を迎えますが、その栄華は長くは続きませんでした。藤原秀衡が源頼朝から逃げてきた源義経をかくまったために、奥州藤原氏は滅ぼされてしまったのです。(源義経もこの地で死んだとされています。)

「平泉」の章では、松尾芭蕉が奥州藤原氏ゆかりの土地を訪れ、この史実を回想しながらストーリーが展開されています。そのことを頭にいれておくと、理解がよりいっそう深まると思います。

原文

三代の栄耀一睡のうちにして、 大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。

まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。さても 義臣 すぐつてこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

夏草や兵どもが夢の跡


卯の花兼房見ゆる白毛かな 曾良


かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨をしのぎ、しばらく千歳の記念とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂


現代語訳

三代にわたって栄えた藤原氏の栄華も一睡の夢のように消え、大門のあとは一里ほどこちらにある。秀衡が住んでいた場所は田んぼになっていて、金鶏山ばかりが昔の形をのこしている。

まずは高館に登ると、(眼下には)南部から流れてくる北上川という大河が見える。衣川(という川)は、和泉の城をまわって流れ、高館のところで大河(北上川)に合流をしている。(秀衡の息子の)泰衡が住んでいた所は、衣が関を隔てたところにあり、南部から平泉に入ってくる道を固めており、蝦夷の侵入を防いでいたと見える。それにしても、家臣たちを選りすぐりこの高館の城に立てこもり、この場所は一時の高名をたてたけれど、今は草むらとなっている。『都が戦に敗れても山河は残っており、都に春の季節がやってきて草や木が生い茂っている』と杜甫が詠んだ句を胸に、笠をおいて、しばらくの間、涙を流したのであった。

昔、武士たちが栄誉を求めて戦ったこの場所には今、夏草が生い茂っており、昔のことは夢のようにはかなく消え去ってしまったことだよ


真っ白い卯の花を見ていると、あの兼房の白髪が思いうかぶことだよ 曾良


かねてからその評判を聞いていた二堂が開かれていた。経堂には三人(藤原清衡、基衡、秀衡)の像が残っており、光堂にはその三人の棺が納められ、そして阿弥陀三尊像が置かれている。光堂をかざっていた宝はなくなり、珠宝で飾られた扉は風雨でいたみ、金の柱は霜・雪によって朽ち果て、もう少しで廃墟と化してしまうはずだったところを、(後世の人たちが)四方を新しく囲んで、屋根をつけて雨風を防ぐようにしてある。(新しい壁と屋根が朽ちるまで)またしばらくの間は、昔を思う記念となっているのである。

あたりは雨で朽ちているが、この金色堂だけは光輝いている。あたかも五月雨がここだけには降らなかったかのように。


次ページ:品詞分解・単語解説とテストに出題されそうな問題

1ページへ戻る
前のページを読む
1/2
次のページを読む

Related_title
もっと見る 


Keyword_title

Reference_title
佐竹昭広、前田金五郎、大野晋 編1990 『岩波古語辞典 補訂版』 岩波書店
『教科書 精選国語総合』 三省堂
『教科書 高等学校 国語総合 古典編』 東京書籍
『教科書 国語総合』 筑摩書房

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 348,626 pt 
 役に立った数 336 pt 
 う〜ん数 35 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。