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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 戦国時代・安土桃山時代

大阪の陣とは~大坂冬の陣と大坂夏の陣~

著者名: 早稲男
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大阪冬の陣と大阪夏の陣

徳川家が豊臣家をほろぼすために行った戦、それが大阪冬の陣大阪夏の陣と呼ばれる2つの戦いです(大ではなくて大です。)
このときすでに豊臣秀吉は亡くなっていますので、秀吉の息子である豊臣秀頼と、秀吉の奥さんだった淀君を相手に、徳川家康がしかけた戦と言っていいでしょう。

2つ合わせて大坂の役と呼ばれることもありますが、この2つについて詳しくみていきましょう。冬と夏、どっちがさきだったっけ?とならないように気をつけましょう。

大阪冬の陣が先に起こった

まず先におこったのは、大阪冬の陣です。1614年に、大坂の陣の直接の原因となった方広寺鐘銘事件が起こります。

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天下をほぼ手にいれた徳川家でしたが、豊臣家の存在はどうしてもじゃまなものでした。そこでまずは豊臣家の財力を減らしていこうと、家康は豊臣秀頼に多くの寺社の再建を提案します。再建する神社の1つが、方広寺というお寺でした。

再建が終わった後に、とある事件が発生します。鐘に書かれている文中に「国家安康」「君臣豊楽」とあったものを、「国家安康」は家康を分断し、「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を願い、徳川家が没落するように呪いが込められていると家康側がいいがかりをつけたのです。

こうして戦の口実を作った家康は、豊臣家を滅ぼすべく大坂城にいる豊臣家に戦をしかけたのです。1614年の冬のことでした。

しかしこの戦いで豊臣家を滅ぼすことはでずに、一度は和平をむすびます。しかし徳川方はこれを破って再び戦をしかけます。これが1615年の夏に起こった大坂夏の陣です。

この戦で大坂城は火で焼け落ち、豊臣秀頼と淀君は自害をします。これによって豊臣家はほろび、徳川家康の天下統一が決定づけられたのでした。
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『教科書 詳解 日本史B』 三省堂
『日本史用語集』 山川出版

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