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17_80 中世の社会・文化と東アジア / 南北朝時代・室町時代

寧波の乱はなぜ起こったのか

著者名: 早稲男
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はじめに

ここでは、1523年に起こった寧波の乱(にんぽーのらん)について説明していきます。
寧波の乱とは

寧波の乱とは、1523年に中国(当時は明)の港で、西国大名の大内氏と、京都や大阪を主におさめていた細川氏のそれぞれの貿易船が、貿易の主導権をめぐっておこった争いです。

つまり、大内氏の船と細川氏の船の団員が、「私たちこそが日本から正式に認められた船だ!」と他国で争いをはじめたという、とても情けない事件なのです。では、この事件がなぜ起こったのかについて説明しましょう。
寧波の乱の背景

勘合をめぐる争い

大内氏と細川氏は、国内において数十年にわたってにらみ合っていました。大内氏は北九州一帯を治める実力者で、明からの貿易船を襲っていた倭寇(いわゆる海賊)を取り締まるという大きな役割を果たしていました。

一方で細川氏は室町幕府の管領で、京都から大阪を治める実力者でした。当時は勘合貿易といって、明から与えられた勘合と呼ばれる札を持っていなければ貿易ができない仕組みだったのですが、この勘合を誰に何枚あげるかを決めていたのもこの細川氏です。

細川氏からしてみれば、地元の大阪が潤えば、自分の資金もたくさん集まるようになります。一方で大内氏の膝元にあった博多が潤えば、大阪の繁栄の邪魔になり、ひいては自分のところにお金が入ってこなくなります。

このように考えた細川氏は、大内氏に貿易に必要な勘合をわたさないようにしてしまいました。これによって40年ほど大内氏は貿易から仲間はずれにされることになります。


しかし転機が訪れます10代将軍、足利義稙が将軍の座をおわれて、大内氏に「助けてー!」と頼ってきたのです。これをきっかけに大内氏は細川氏へと攻め入り、すべての勘合を自由に使えるようになりました。
細川氏のあがき

貿易の実権を得た大内氏は、明へと貿易船を出します。しかし細川氏はこのまま黙ってはいませんでした。期限の切れた古い勘合をもって、細川氏も明へと貿易船を出したのです。


普通に考えれば、期限のきれた札をもっていても入国させてはくれませんよね。しかし!細川氏側の使者が明の役人にわいろを送ったことで、なんと明は細川氏の船を正式な使者として迎え入れてしまったのです。

これに激怒したのは大内氏です。細川氏の使者をはじめ、船をすべて破壊してしまいました。
これが寧波の乱の概要です。
寧波の乱のその後

勝手に自分の国の港で暴れられた明のメンツは丸つぶれです。当時は、日本が明に朝貢するというスタイルをとっていましたので、大きな罰が日本に与えられる可能性もありましたが、それはありませんでした。

とういのも、大内氏が取り締まっていた倭寇の存在が大きかったからです。「このまま日本と取引をやめると、倭寇も取り締まってもらえなくなるし日本との貿易の利益もなくなってしまう。」そういった大人の事情もあって、明は大内氏を正式な窓口として日明貿易を続けることになったのです。
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『日本史用語集』 山川出版
『さかのぼり日本史』 NHK http://www.nhk.or.jp/sakanobori/schedule/index.html#series_04

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