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源氏物語 桐壺 その6 故御息所の葬送
著作名: 春樹
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あくまでもイメージを掴む参考にして下さい。
【源氏物語 原文】

限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。

「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。
 
内裏より御使あり。
三位の位贈りたまふよし、勅使来てその宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。
これにつけても憎みたまふ人びと多かり。
もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。

さま悪しき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人柄のあはれに情けありし御心を、主上の女房なども恋ひしのびあへり。なくてぞとは、かかる折にやと見えたり。

【現代語訳】

どんなに惜しい人でも、亡骸は亡骸として扱わなければなりません。
葬儀が行われることになって、母(北の方)は更衣の亡骸と一緒に燃えて煙になってしまいたいと泣いていました。

愛宕(おたぎ)という場所で行われている葬式に到着したときに、北の方はどれほど悲しんだことでしょう。

「更衣がまだ生きている人のように思えてならない私の迷いを断ち切るために、葬儀に行かなければなりません」

と賢そうに口にはしていましたが、山車から落ちてしまいそうに泣くのを見て、立ち直るのも難しいぐらい悲しんでいらっしゃると女房達は思いました。


宮中からの使者が、更衣に三位の位を授けに葬儀にやってきました。
直視がその宣命を読み上げたときほど、北の方にとって悲しいことはなかったでしょう。
この三位は「女御」に相当する階級です。帝は、更衣に女御とさえ言わせないでいたことを心残りに思っていたので、この階級を授けたのです。
 
しかし、このようなことでも反感を持つ者もいました。
理解のある人たちは、更衣のことを美しさや性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると今になって思い出しています。

帝の度の過ぎた寵愛ぶりから人の嫉妬を買ったのですが、更衣が優しく愛情深い人であったことを、帝の世話をする女官たちは恋しく思い出していました。

「亡き人は恋しいものだ」とはこのようなときに使うのだなあと思いました。





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