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インドを訪問した僧侶たち ~法顕、玄奘、義浄 陸路か海路か~
著作名: エンリケ航海王子
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はじめに


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中国ではインドから仏教がもたらされ、信者を増やしていきますが、この広がりと共に、仏法という仏の教えを求めに、インドへ旅立った僧侶たちがいました。このテキストでは、その代表的な僧侶たちを説明します。

法顕

法顕(337頃~422頃)は、東晋の僧侶です。399年に長安を出発し、戒律の原典を探す旅にでます。

彼は、行きは陸路で西域を通ってグプタ朝インドにたどり着きました。

当時の王はチャンドラグプタ2世(在位376頃~415頃)です。中国では超日王と紹介されます。また、パータリプトラという都は華氏城と記されています。

法顕はインドで様々な仏教の経典を手に入れると、帰りはスリランカから海路で中国に戻りました。

帰国後、法顕は『仏国記』というインドの旅行記を著しました。

玄奘

玄奘(602~664頃)はの時代の僧侶です。629年に国で禁じられていた国外旅行を強行し、陸路で西域経由でインドに赴きます。

当時のインドはハルシャ=ヴァルダナ(在位606~647)の統治するヴァルダナ朝でした。ハルシャ王は中国では戒日王と呼ばれます。

玄奘は5世紀にグプタ朝が建立した仏教学院のナーランダー僧院で五年間学びます。

その後インド各地で経典・仏像などを収集し、645年に陸路で帰国します。
帰国後、仏典の漢訳に努め、法相宗という宗派を開きます。また、自らの旅行記を『大唐西域記』にまとめました。

玄奘は後の明代に成立した『西遊記』の三蔵法師のモデルになります。


義浄

義浄(635~713)はの僧侶です。671年に広州から海路でインドに赴きます。玄奘とは違うルートですね。

玄奘と同じく、ナーランダー僧院で学び、仏典を収集します。

その後南海諸国を経由して東南アジアのシュリーヴィジャヤ王国に滞在したあと695年に海路で帰国し、230巻にのぼる仏典の漢訳を果たします。

義浄は『南海寄帰内法伝』という旅行記をシュリーヴィジャヤ王国滞在中に著しました。これは当時のインドから東南アジア地域の様子を伝える重要な資料です。

まとめ

このように、3人の僧たちは、仏教史において重要な役割を果たしました。下記で表にしてまとめてみます。特に著書と各僧侶の旅のルートが重要です。

名前王朝時代行き帰り著書概要
法顕東晋399~412年陸路海路『仏国記』グプタ朝チャンドラグプタ2世のインド訪問。
玄奘629~645年陸路陸路『大唐西域記』ヴァルダナ朝のハルシャ王の庇護。ナーランダー僧院で学ぶ。
義浄671~695年海路海路『南海寄帰内法伝』分裂期のインドに滞在。ナーランダー僧院に学ぶ。


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