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古代中国の土地制度の変遷 ~封建制、郡県制、郡国制の違い~
著作名: エンリケ航海王子
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はじめに


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古代中国において、各王朝は統治のために様々な土地制度を用いました。
このテキストでは、わかりにくい土地制度の変遷を説明します。

封建制

まず、古代中国の土地制度のおこりとして、封建制があります。これは西周で施行されたもので、支配者の周王が一族や諸侯に適用したのがはじまりです。
周王は一族や諸侯に対し、主君への忠誠軍役、貢納の対価として、封土という土地を与えました。封土は世襲制によって受け継がれました。
また、周王や諸侯は、その家臣であった卿・大夫・士という家臣に対し采邑という領土の一部を与え、同じような義務を課しました。
この封建制の特徴は、地方分権的血縁関係を基にしていたというものでした。

この西周の封建制は、中世ヨーロッパの個人的契約に基づく封建制とは異なります。

この制度は、次第に地方の力が強くなり、各諸侯が覇権を争う春秋戦国時代へのきっかけとなります。

郡県制

秦の始皇帝が中国で統一を果たすと、土地制度も新しいものに変わりました。
郡県制は、地方分権的だった封建制とは異なり、始皇帝の望んだ中央集権的な制度でした。
始皇帝は、国内を36郡(最終的には48郡)に分割し、その郡の下に更に細分化したを置きました。
また、各県には皇帝が自ら任命した官吏を派遣して、中央の権力を最大限に高めました。

この制度を利用した始皇帝の中央集権化は長くは続かず、最終的に各地の反乱によって秦の滅亡につながりました。

郡国制

秦の滅亡後、劉邦高祖となって前漢を建国すると、郡国制という新しい制度を始めます。
郡国制は、秦の始皇帝が郡県制を強行し、失敗した経験を踏まえ、封建制との融合を図った制度でした。
高祖は、都の長安周辺には中央直轄地を設け郡県制を、一方地方は自らの一族や功臣を諸侯とし、封土を与え、封建制を用いました。

漢はその後郡国制を基礎として各地の諸侯の力を削減することに成功したので、のちの武帝の時代に、全国的に中央集権を支える郡県制が成立します。

まとめ

土地制度の変遷をまとめると、次のようになります。

制度名国名内容その後
封建制西周諸侯に世襲の封土を与える。地方分権的。血縁関係に基づく。各地の諸侯が勢力を持ち、春秋戦国時代へ。
郡県制国内を郡とその下の県に細分化し、官吏を派遣。中央集権的。各地の諸侯が不満。反乱の末秦滅亡。
郡国制前漢長安付近に郡県制、地方に封建制。呉楚七国の乱後、武帝の時代に郡県制へ。


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